旅行と資本主義

 

 こんにちは~アルルです。今日もどうでもいい話をしようと思います。

 

 っていうのは、先日こういうトゥウィートを見かけたからです。

 

 

 

 ちなみにツイートではなくトゥウィートと言ったのは、最近ひろゆきの切り抜きを見るのにハマっているからです。


 まあそれはどうでもいいとして、皆さんは旅行に行くとき、予定を埋めつくしたい派ですか?それとも、適度に観光して、あとは旅館で温泉にでも入ってゆっくりするか~派ですか?ちなみに僕は後者なんですけど、困ったことに、僕の周りの人間を見るとほとんどが前者の人間なんです。

 

 僕はほぼ毎年、毎年なのか?ちょっとあんま覚えてないんですけど、まあよく家族と旅行に行くんですよ。で、これは子供の時からそうなんですけど、まあ観光地をほんとにあちこち回らされるんです。なんとか資料館とかなんとか寺とかなんとか神社とか、正直どういうアレなのかもよく分からないんですけど、ほんとにあちこち回らされるんですよ。


 で、なんか朝8時とかから歩き回らされて、で、僕は朝が苦手なのでなんかちょっと元気なさげなんですけど、そしたら母親が必ず僕にこういうんです、「せっかく来てるんだからシャッキリしなさい!」って。


 いやいやそれはちょっとおかしくないですか?僕は別に観光しなくてもいいわけで、それで連れてっておいて、いやなんでそんなこと言われなきゃいけないんですか?みたいな。まあ金出してるのは親なんで文句は言えないんですけど。


 まあそういう感じで、僕の性格的な問題なのか、そういう環境的な要因への反発なのか、僕は旅行ではのんびりしたいな~と思うようになったんです。


 っていうか、そんな歴史も由来もよく分からないような観光地見に行って、パシャパシャ写真撮って、でもそんなんすぐ忘れちゃわないですか?写真見て「ここで何見たんだっけ・・・」ってならないんですかね?


 驚くことに、僕の母親は覚えてるんですよ。数年前の旅行の時に、どこどこに行って、こういうものを見たとか、逐一覚えてるんですよ。


 対して僕はすぐに忘れちゃうんです。だって僕は昨日の飯に何食べたかですら結構な割合で忘れるような人間ですからね。なんか法隆寺とかも昔見に行ったことがあるらしいんですけど、僕はもうすべて忘れちゃってます。


 こういうと、母親はいつも僕に「そんなすぐに忘れるんじゃ旅行にいく意味ないじゃん」って言ってくるんですよね。僕はこういわれた時はいつも、「歴史的な建造物を見たのは覚えてても、あんたは僕の100分の1も歴史を知らないじゃないか」って反駁するんですけど、こういうと大抵頭を叩かれるんですけど。


 でもこれってしょうがなくないですか?だって僕は朝は眠いわけだし、しかも別にあまり興味がないものを見させられているわけだし。


 それに僕だって、見たもの全てを忘れてるってわけじゃないんです。例えば安土城とかがそうなんですけど、頂上には城も何にもなくて、ただ跡だけがあって、そこから町を見下ろせるっていうそれだけなんですけど、でも景色がすごくよくて、それはすごく印象的に頭に残ってるんです。


 そうそう、僕ってのは観光地に行っても基本写真は撮らないんです。今は何をするにも、写真を撮ってSNSで共有するのが当たり前ですけど、でも僕はほとんど写真を取ることはないんです。


 これは古い考え方の人間だからとかではないです。僕が思うのは、どうでもいいものなんてわざわざ写真に収める必要ないし、逆にすごくいいものってのは写真に残さなくても記憶に残り続けるので、それでよくないですか?ってことなんです。


 まあとにかく、僕は旅行ではあまり観光はしたくない・・・っていうか、ほんとうに興味のあるものだけ見て、あとは適当に休みたいんです、だってせっかくの休暇なわけじゃないですか、現実のしがらみとか悩みから逃れて、ただただ享楽のままに過ごすことができるわけじゃないですか、なのにキッチリ予定を立ててキッチリその通りに実行するって、マジメかー!みたいな、そんなことを思うんですよ。


 これって結構本質的というか、矛盾、つまり"パラドクス"じゃないですか?僕らは仕事とか学校が基本的に面倒に感じていて、機会さえあれば休みたいと思っている。でもその休みを取って何をするかというと、どっかに出かけたり、人と遊んだり、こう、まあ言ってしまえば何かしら「有意義」なことをしたいという風になるわけじゃないですか。それで何もしない一日を過ごすと、「せっかくの休みなのに・・・」ってなるわけですよね。


 これっておかしくないですか?だって僕ら休みたいはずなのに。


 旅行だってそうです。せっかく数日間休みを取って遠出をしたってのに、予定詰めて忙しくあちこち走り回って、これって休みじゃないの?みたいな。なんで休みなのにこんなせわしいの?みたいな。でもこれが一般的には娯楽ということになってるわけですから、僕にとっては不思議だなあと思うわけです。

 

 そうそう、旅行と言えば、これは関係ない話なんですけど、例えば東京から京都に行きたいってなった時に、あなたは新幹線を使いますか?それとも夜行バスとか使って安く済ませます?あるいは自家用車?


 これはこの前僕と弟で議論になって危うく戦争に発展しかけたアレなんですけど、僕は前者なんですよ。でも弟とかは「移動手段を安く済ませればその分おいしいもの食べれたりいい宿泊まれたりするじゃん」って言うんです。


 僕は違うんですよ。っていうのは、別にいい宿に泊まりたくないとかいうのじゃなくて、僕は移動手段にも金かけていい宿に泊まって、且ついいものを食べたいんです。


 だって旅行にいく以上はある程度以上の金がかかるわけなのに、その上で数千円とかあるいは数百円みたいなものに関してケチケチしたくないじゃないですか?金かける以上は不自由なく使いたいじゃないですか?


 それにこれも強調しておきたいことなんですけど、移動手段に金をかけないってことは、つまるところその分移動に時間がかかるわけじゃないですか。だから結局別に得じゃないと思うんですよ。


 これは金の節約の話をする人は大体において忘れがちなんですけど、たとえ消費する金額を少なく済ませられたとしても、その分余計に時間や労力がかかるんであれば、それってその金額分の得にはなってなくて、逆に損してる可能性だってあるわけですよ。だって時間だって有限のコストですよね?どうして金に関しては100円10円でさえ得したいと思うのに、この「余計に時間がかかる」という部分については、そこまで深刻に受け止める人が少ないんだろうって、僕は疑問に思ってならないんです。


 特に旅行の場合はより時間が限られてるわけですから、滞在場所でより長く時間を使えるかどうかってのは得られる効用にすごく大きな影響を及ぼすわけじゃないですか。その時間分を皆さんの大好きな観光に使うでもよし、ただダラダラ見知らぬ土地を歩き回るもよし、宿でダラダラするもよし、時間さえあればその分より自由にプランを拡大することができるわけじゃないですか。


 こういう理由から、僕は旅行にいくときには、そういう細々したことで金を節約しようとするってのは良くないと思うんです。


 そういうことを話したら、弟はこう言ってきたんです、「でも金には限りがあるんだからそういう風にできないこともあるだろ」と。だから僕はこう答えたんです、「そんなんならそもそも僕は旅行なんか行かない」。


 まあ結局、旅行に行く頻度とか、その旅行をどれだけ一大行事ととらえてるかによるという話で落ち着いたんですけど。まあこれは僕があまり外に出ないからというのも大きいかもしれないですね。

 

 でもまあとにかく言いたいのは、僕はそういう「かかる金が少ないほどいい」みたいないかにも金稼ぎ主義の資本主義的な考えには迎合できないんです。


 コンビニで150円のペットボトルのジュースを80円で買うためにわざわざ5分以上歩いてスーパーまで行くとか、ペイペイだかオッペェだか知りませんけど、「〇〇%還元!」みたいなので数十円数百円でも得するみたいな、そういうお金のために時間や手間を浪費するようなことって僕はあまりしたくないんです。


 だってムカつくじゃないですか?お前は貧乏人だと言われてるみたいで。まあ実際ウチは貧乏なんで仕方ないんですけど。でも身も心も貧乏に染まりたくないじゃないですか?


 僕の父親とかはまさに僕と対極に位置する人間で、そういうペイペイだかなんとかペイみたいなのをめっちゃ勧めてくるんですよ。「このアプリ落としといて!」みたいな。しかもなんか、よく分からないんですけど、何かしらのアンケートだか何かに協力するとお金に還元できるポイントがもらえるみたいなのもやってて、しかもめちゃくちゃやってて、なんか数万円分くらい貯めて欲しいもの買ってたりするんですよ。


 まあ別にそれはどうでもいいんですけど、でも僕の気に入らないのは、父親と飯を食ってる時に、僕の茶碗とかに米粒が残ってると、めっちゃ指摘してくるんですよ。「お百姓さんが泣くぞ」みたいな感じで。米粒一つ残すのすら許さないんです。


 いや別にそんなのどうでもいいじゃないですか?だって別にそんな残してるわけじゃないですよ?ところどころに粒が残ってて―――まあ全部で10もいかないくらい?数えたことなんてないのでわかりませんけど。


 そんな米粒、百姓さんだって別に気にしてないと思いますよ?僕は。まあ僕は百姓じゃないのでわかりませんけど。だってそんな量、トラクターだかコンバインだか、そういう機械の誤作動とかのアレでも吹き飛ぶ量だと思いますよ、多分。それに百姓だって―――っていうか百姓ってなんだよ?農家だろ普通。


 例えばですけど、例えばカレーを食べている時に、「ルーがもったいない」と言って皿をペロペロ舐め回す人間を見たらどう思います?きっと「意地汚い」とか「行儀が悪い」とか思うひとが大半だと思うんです。


 僕が米粒を残さないことに関して思うのはこれと一緒です。つまり、「少しも残しちゃいけない」なんてのはおかしいっていう話なんです。それを言ったら僕らは何一つ残さずに食べることなんて不可能なのに、茶碗に残った米粒だけ特別視してそういう風に言うのはおかしいってことなんです。まあ僕は家に食費を入れているわけではないので文句は言えないんですけど。


 まあ要は、それもこれも貧乏が全て悪いんですよね。僕は一度、父親の実家、まあつまり父方の祖父母の家に行ったことがあるんですけど、まあ割と田舎の、まあ割と狭い家なんです。


 そこに行ったときに、僕の父親は、そこの庭に僕を連れていったんです。庭もまあ割と狭かったんですけど。で、父親は僕にこう言ったんです。「父さんはな、子供の時はこんな田舎の、こんな狭い家で暮らしてたんだ。こんなところじゃ娯楽もないしやることもなかった。それくらいウチは貧乏だったんだ。だから結局お金が大事なんだ。どれだけいい仕事について、どれだけたくさん金を稼ぐかってことが一番大事なんだ」って。これにはなかなか僕も考えさせられるところがあったんですけど。


 まあつまり貧乏ってのが全ての諸悪の根源なんですよ。つまり、お金さえあれば僕らは何の不自由もなく、自分の好きなように暮らせるはずなんです。でもお金がないから僕らは不自由なんです。


 金を稼ぐにしたってそうです。資産がたんまりあれば、その分おいしい話もたくさん来るだろうし、そうすれば投資とか何とかで働かずともお金をプラスにできて、その利潤だけで暮らしていくことができる。でもそういう資産を持たない僕ら貧乏人は、あくせく汗水たらして働いて何とか生きていくしかないんです。米粒一粒残さず、旅行に行くときでさえ金を節約し、そういう涙ぐましい努力を続けて、それでどうにか人並の幸せを手にするしかないんです。


 正直言って辟易しちゃう話ですよね。


 でも僕がよかったのは、父親は上に書いたような人間ですけど、でもかといって金の消費を渋るような人間ではなかったってことです。さっきも言ったように旅行にもよく連れて行ってくれるし、子供の時は、望んだものは何でもとはいかなかったですけど、欲しいものは割と与えられたし、中高と私立に行かせてもらえたし、塾とか教習所も―――まあそういう感じで、僕はあまり不自由なくこれまで育てられたので、その点はよかったなと思います。


 ただまあ、根も葉もない話をしてしまいますけど、だから貧乏なんですよね、ウチは。消費しちゃうから。


 あ~もう金って最悪ですね。だから資本主義は嫌いなんです。


 まあそういう感じです。僕が言いたいのはそういうこと。つまり資本主義はクソってことです。


 まあこういう感じで、旅行とお金について話しました。ちなみに言っておきますけど、この文章は一切何も考えずに書いてます。下書きもしてないし推敲もしてないです。思いつくままに書いてます。なので読みづらかったかもしれませんが、まあ別にいいですよね?


 前回のブログでも書きましたが、まあ僕は今他人に情報を発信するということについてあまりこだわりを持ってないので、こういう風に好きに書いていくことが多くなると思います。


 そうそう、僕アレなんすよ。フォロワー削ったんすよ、30人くらい、うん。っていうのは、なんか暇だったので。


 これはなんか、関わりの薄い人を削ったというよりは―――というよりは、なんだろ。わからないです。フォロワーリスト見て、「この人はまあいいか・・・」って人は削りました。まあいわゆるブロ解ですね。ブロックではないです。


 まあアレですね、例えばですけど、その人が僕とFFが解除されてるのに気づいて、「・・・アレ?この人フォローしてなかったっけ?」ってまたフォロリクを送ってくるようだったら普通に通してフォロー返しますけど、多分削った人たちは気づかないと思います。多分僕のツイートとか見てないと思うので、っていうか、恐らくフォローして秒でミュートリストに突っ込まれただろうので。


 まあそういう、「別にブロ解しても気づかないし気にも留めないだろうなこの人は」っていう人を削りました。なので割とかかわりの深かった人もある程度削った形です。ごめんね。


 なんでそんなことをしたかというと・・・なんででしょうね?垢作り直すの面倒だったから?このアカウントでどうにかしようみたいな?まあちょっと最近テンションが低めなので、自分も興味ないし相手も別に自分に興味ないみたいな人とずっとFFでいるのがなんかアレみたいな、ちょっとヤダみたいな、まあそういう曖昧な理由です。


 ちょっとこの話はよくなかったかもしれない、ていうか、しない方がよかったかもしれない。でも変に黙って誤解を招くよりはいいと思ったので話しました。嫌いになったわけではないし、人間関係を整理するみたいなそういう高飛車なアレでもないです。なんか単に・・・単に、なんだろ、分かりません。まあもしアレだったらまたフォローしてください。まあそれに気づいたならって話ですけど。でもきっと気づかんだろうというのが僕の見解です。


 っていうか、このブログでこんなこと言っても、Twitterからじゃないとこのブログに辿り着けないんだから意味ないな?今気づきました、すいません。


 まあとにかく言っておきたいのは、別に嫌悪感を抱いてそうしたわけではないし―――ないし、なんだろ、分からないです。ごめんなさい。その人を嫌いになったわけじゃなく、その人のツイートに興味がなくなったというか、いや逆だな、あなた僕のツイート興味ないですよね?だからみる必要ないですよね?みたいな、まあそういう感じです。なので人間的な好き嫌いとは無関係です。

 

 つまりアレですね、最近は特により個人的な意見や主張を孕んだツイートやブログ記事を書くようになっているので、僕のネット上での活動だったり何だりにしか興味のなさそうな人たちは削った、みたいな?ちょっと違うかな、ただまあそれに近い形です。

 

 ちょっと何言ってきたか分からなくなってきたのでこの辺で終わろうと思います。


 まあアレですよね、難しいですよね、人間関係って。何言ってんだという感じではありますが。

 

 まあそういう雑な感じで終わろうと思います。さよなら

 

 

おわり