自分に自信が持てない男の日記

 

 

 こんにちは、アルルです。今日は日記を書いていこうと思います。

 

 

 まあ割と日記を書くのは久しぶりなんで、書きたいこと自体は割りといくつかあるんですけど、まあこういう場合、一般的な物書きであればテーマごとに分けて2,3個に分割するところですけど、やっぱり僕って”””パワー系”””なんで。全部ごっちゃにしてまとめて書こうかなと思います。

 

 

 で、何を書くかというと、まあ近況の話ですね。最近あったこととかを時系列順にちらほら書いていこうと思います。

 

 

 まあまずは研究のことについてですけど、まあどうにか卒論を提出できて、発表もまあそれなりにできて、とりあえず卒業研究としては割と平和的に終わったと思います。結構早めから目標を立てて取り組んできたのと、出た結果は逐次データを出して卒論に盛り込んでいたのもあって、徹夜とかそういう無理な作業をするでもなく、締切の3日か4日前には完成して提出できました。プログラムのデバッグとか、卒論の校正とか様々な面に関して全面的にサポートしてくれた研の先生(僕は親しみを込めて””マブ””と呼んでいます)には感謝しかないです。まあほんとはもっと丁寧に見てほしかった部分もなくはないですけど・・・まああまりわがままは言えないですね。

 

 

 まあなんだろうな、マブも結構自分の仕事で忙しかったり、あとはもう一人の卒研生が割と手詰まってる感があってそっちの方に主に気をかけていて、まあそれはそれでしょうがないっちゃしょうがないんですけど、でもなんか、僕の方ではもっと色々なことに手を伸ばして広げていくつもりで、だからこそ早め早めで研究を進めてきたし、それを実現するには先生の方からもサポートが欲しかったんですけど、でもそれがなくて、結局なんかただデータを色々集めただけで終わっちゃったみたいな感じで、なんか僕としてはちょっと消化不良な感があったんですよね。

 

 

 もちろん研究を進めていくうえでの助言は非常に役に立ったし、僕だけでは到底進めてはいけなかったと思うので、そこに関してはもちろん感謝はしてるんですけど。それに先生からも研究が終わった後お褒めの言葉も頂いて、まあ研究としてはうまくいったなと思うんですけど、でもなんだろな~、僕はもっとサポートしてもらえればもっとうまくやれたと思うんですよね。なんか、僕は卒研期間中は生活のほとんどを研究に充てていたし、だから自分で試行錯誤して自分である程度は研究を進めていくことができたんですよ。でもそれでも学部生の限界というか、知識面での限界もあるし、環境面での限界もあるじゃないですか?なんかそこをもっと補ってくれたら、僕はこの卒研で進めた分の何倍も成果を出せたという感覚があるんですよ。だからなんか、なんだろな~、正直自分の中ではあんまり満足はいかなかったみたいな、まあそういう感じなんですよね。

 

 

 でもやっぱり僕の今までの勉強とか努力が足りなかったせいで研究が停滞しちゃった面もあるし、そもそも僕がもっと優秀な人間だったら同じ環境でももっとうまくやれただろうし、なんかあんまりそういう、外的な要因に自分の不出来の責任を押し付けるっていうのはあんまり好きじゃないんですよね、僕は。なんかそういう不満と自己嫌悪の板挟みになって、1月から2月の辺りはずっとフラストレーションがたまっていたというか、まあそういう側面もまあなくはないですね。

 

 

 でもまあやっぱり思うのは、先生が非常に優秀な方なので、そこはすごくよかったというか、幸いだったと思います。なんかほんとに、細かいことでも質問すれば大抵答えてくれるし、なんだろな、ほんとに何でも知ってるんですよね。なんかそこに関してはほんとに、この研究室選んでよかったな~って思いましたね、そこはやはり。まあもしかしたらどこの研究室の先生もこれくらい優秀なのかもしれないですけど、それはそれとしてやっぱりよかったと思いますね。あんまりこういうこと言うとなんか傲慢な感じがしてイヤなので言いたくないんですけど、明らかに大したことなさそうな人間に師事するのなんて僕は耐えられないんで。そういう点では、僕より圧倒的に優秀な人間が僕の先生で良かったと思います。

 

 

 でも、だからなんか、なんだろな、僕が不満を抱えている点というのはひとえに僕のワガママであって、でもやっぱり不満っちゃ不満なわけで、なんだろな、でもその行き場がないわけじゃないですか、だってそれって僕のワガママだし。だからひたすらフラストレーションだけが溜まっていくという感じでなんかアレ・・・アレでしたねなんか。

 

 

 まあそんなことはどうでもいいですけど。

 

 

 それで、なんだかんだでうまく研究が終わって、研究の発表があって、その後すぐに最後のバイトがありました。前のブログでも書いたように国公立大学を受ける子がいて、まあその子の受験本番に向けての最後の追い込みみたいなのをやって、過去問とかを解いて、頑張ってね~みたいな。まあそういう感じでしたね。でそれが確か2月の25日とかで、僕は2月いっぱいで辞めるって話にしてたんで、結果的にそれが最後という形になりました。

 

 

 僕がその子に一貫して言っていたのが、「国公立受験なんてギャンブルみたいなもんだから実力いかんに関わらず受かる時は受かるし落ちる時は落ちる、だから結果を気にすることはない」っていうことだったんですけど、どうなんでしょうねこれは。つまり、これを言うことが受験生にとってプラスなのかそうでないのかってことなんですけど。

 

 

 なんか、これは僕が受験生当事者だった時から言ってるんですけど、受験ってほんとにくだらないと思うんですよね、僕は。だって受験していい学校に入ろうが悪い学校に入ろうが、どの道今までやっていた勉強とは全く異色の勉強をするわけじゃないですか。例えば数学だったら、受験ではなんかバウムクーヘン積分とかなんかよく分からない公式ばかりを暗記させられますけど、大学に入った途端にイプシロンデルタとかなんとか、なんかよく分からないのがいっぱい入ってくるわけじゃないですか。

 

 

 それなのに、大学でほとんどと言っていいほど使わない高校の知識を1年間、人によっては2年、3年と勉強し続けて、その勉強量で序列をつけるわけじゃないですか。おかしくないですか?こんなのって。分かります?僕の言ってること?

 

 

 それにいい大学の方が質のいい勉強ができるかというと必ずしもそうではなくて、例えば僕の大学とかだと、最初の1年間は教養って言って、学部関係なくみんな同じ授業を受けさせられるんですね。東大なんかだとそれが2年もあるわけです。でも学校によっては、1年の時から専門に関連した勉強を始めるところもあるわけですよね。そうなると、まあもちろんそれは学生の意欲次第ではありますけど、東大なんかに入るよりも却ってそういうところの方が自分の好きな勉強に没頭できるかもしれないわけじゃないですか。

 

 

 だから本当は大学とかっていうのは、偏差値なんかじゃなくどういう勉強をしたいのかとか、そのためにはどういう教育システムが合っているのかとか、そういう面から考えるべきだと思うんですよね。でもどういうわけか、世の中の大半の人は、偏差値の高い大学に行けば行くほどいいと思い込んでる。そしてなまじほとんどの人がそれを信じているばかりに、逆説的にそれが真実みたいなことになってしまっているんです。

 

 

 そしてそれを信じ込んだ大人たちに扇動されて、大学受験をその後の人生を完全に決定づける大一番の勝負だと教え込まれて、そう洗脳された子供たちが、毎年大いなる苦しみを負うことになるんです。受験に落ちて一生消えないコンプレックスを植え付けられる人、名門校に入るために二浪、三浪と繰り返す人、なまじ受かったがために余計な自尊心を得てそれを捨てきれない人・・・そしてそういう人の子供がまた・・・学歴社会が生む悲劇は日常に枚挙にいとまがないほど溢れていて、そしてそれを誰もが当然のものと享受して否定しない。これはおかしい事態だと思います僕は。

 

 

 実際、従妹が今年高校受験に失敗してなんかめちゃくちゃ落ち込んでるという話を聞いて・・・なんか正直やりきれない思いもありますよ。だって一度そうなってしまったら、受験の結果なんて気にすることないなんて言ったところで、その人にはただの気やすめにしか聞こえないわけですから。

 

 

 まあそんなことはどうでもいいんですけど。まあそういうわけで、その子にはそういう思いをしてほしくなかったんで。その子はほんとに、めちゃくちゃ真面目でめちゃくちゃ勉強してる子だったんで、その子が受験のせいで変に偏執して狂ってほしくなかったんで。どんな大学に行くことになってもそのマジメさがあれば大丈夫だって僕は言いたかったんで。

 

 

 まあでもまあ、結果から言うとその子は第一志望に受かったみたいなので、良かったです。まあこれはひとえに僕のおかげと言ってもよかったんじゃないか?いや分かりませんけど。もちろん99%は本人の努力ですけど、でも例えばこれが集団塾だったらここまで親身には見られなかったかもしれないし、個人塾だったとしても、まあ、あんまこういうことは言いたくないですけど、大したことない人間が教えても大したことない生徒しか生まれないんで。だからそういう意味では、まあ多少は、ほんとにちょっとだけは、僕のおかげもあるのかな?って。1年間研究と二足のわらじで苦労して教えた成果が出たんじゃないかな?って、まあそういうことを思っています。

 

 

 まあ塾のバイト、まあどうだろな、前のブログ記事では結構、まあ辞めるのを決めた後ってこともあって割とボロクソ言っちゃったんですけど、でも僕としては、それを含めても、ここに務めててよかったなとは思うんですよね。人に教えること自体もそれほど嫌いではなかったんで僕は。

 

 

 それに、教える方針とか教え方とかについて一切口出しされないのもよかったです。今僕の弟が僕とは別の塾でバイトしてるんですけど、まあそれは集団授業のバイトなんですけど、やっぱなんか教え方とか、話し方とかについて色々言われるみたいなんですよね。そういうのって正直僕は受け付けられないんで。やっぱり人に教える以上は自分が一番わかりやすいと思う教え方で教えたいじゃないですか?なんかそういう点で、僕のバイト先はそういう教育方針はかなり自由にやらせてもらえたし、何なら使う教科書とかも、こういうのが使いたいとかってなったら経費で落としてくれたりしたんで、そういう点ではすごく良かったと思います。

 

 

 あとはなんだろな、生徒の志望校の相談とか、あとは保護者対応とか、そういう面倒な部分は全部室長とか社員の人が受け持ってくれたこととかも、僕としては非常にありがたかったですね。だから僕はその生徒の成績を伸ばすことだけをやってればよかったっていう。他の雑務は基本塾側がやってくれたし、それに、僕個人の都合で出勤できる曜日が変わるとかも割とすぐ対応してくれたりしたんで、そういうのもよかったなって思います。

 

 

 総合すると、なんだろな、生徒たちが学生であることはもちろんなんですけど、教える側もやはりバイトであって学生であるってことをちゃんと理解してくれてる人が室長だったので、僕としても色々やりやすかったって感じですかね。生徒もみんな真面目な子ばっかりで、僕みたいに授業ボイコットしたり授業中にカップ麺食いだしたりする不届き者はいなかったんで、教える上でもストレスはあまりなかったですね。

 

 

 ただまあやっぱり高校生の授業が僕にばかり回ってくるのは負担が大きかったし、国公立受験を受け持つという時に、僕の立場と給料はその責任を負うのにはあまりにも小さかったのは間違いないんですけどね・・・。だから辞めたこと自体には後悔はないんですけど。でも結果的に受かってくれたのはほんとに良かったと思います。これで落ちてたら、僕の方ではそれはどうしようもないっていうのはそれは分かり切ってるんですけども、それでもやっぱり心の中に引っ掛かりはできたと思うんで。そこに関してはよかったと思います。

 

 

 いや~でもなんでしょうね。こうやって人を教えるということを何年かやってきて、それで初めて、今まで僕に教えてきた人たちの苦労が分かるというかなんというか・・・そういうものを感じなくはないですね。特に僕みたいなガイジを受け持った先生方にはほんとに申し訳なさしかないというかなんというか・・・。

 

 

 僕がこういうことを考えるときにまず最初に思い出すのが、中学受験の時の塾の先生とかなんですけど。なんか、なんだろな、僕はその当時は小学生だったんで、先生がどんな人間かっていうことにはあまり考えが至らなかったというか、普通に社会人の先生だと思ってた節があるんですよね。分かります?僕の言ってること?だって分からないじゃないですか、小学生だし。教えてる先生も学生だなんて知る由もないですよね普通に。

 

 

 で、僕が2年半くらいずっと社会を教えてもらっていた先生に、カイ先生っていう人がいるんですけど、その人は僕が塾に入った時からずっといる先生で、まあ多分その人も今思うと見た目結構若かったんで大学生だったと思うんですよね。ていうかもっと言うと、慶〇義〇とかの過去問とか持ってきて塾の本棚に寄付してたりしてたんで多分慶〇生だったと思うんですけど。だから結構頭いい人だったと思うんですよね。

 

 

 でずっと僕の授業を受け持ってもらっていたわけなんですけど、当時から僕ってやっぱガイジだったんで、ガイジっていうか、まあちょっと”””ヤンチャ”””みたいな?まあそういう感じだったんですけど。授業中にちょっと騒いだりちょっと脱走したりね。まあそういうちょっとヤンチャな一面があったんですけど。

 

 

 だからそのカイ先生には2年半ずっと迷惑をかけ続けてきたわけなんですよね。正直僕がカイ先生の立場だったら「なんでバイトの俺がこんなガイジのお守りしなきゃなんねーんだ・・・」って思っただろうし、きっと先生自身もそう思ってたことは想像に難くないわけですよね。

 

 

 それでもカイ先生は僕を叱ったり説教したりしつつも、ずっと僕に対して親身に教えてくれたし、それに何より、受験本番の会場に来てくれたんですよね。受験って基本めちゃ朝早いじゃないですか。しかも2月の初めなんでクソ寒いんですよね。でもそのなかわざわざ分厚いコート着て会場の入り口で待っててくれてて、僕に「頑張れよ!」って言ってくれたんですよね。

 

 

 なんかそれが、当時は何とも思ってなくて、「お~来てくれたんだ~」くらいにしか思ってなかったんですけど、でも今思うと、それってすごく有難いことだなって思うんですよね。だってただのバイトですよ?僕は少なくともそんなことはできないし、しようとも思わないので。いや、もしかしたらカイ先生の方も、ほんとは死んでも行きたくなかったけれども、上から命令されて無理やり行かされただけかもしれませんけど、かもしれないっていうか十中八九そうだと思いますけど。でもそれはそれとして、やっぱり僕はそれってすごくありがたいなって、そういうことを思うんですよね。分かります?僕の言ってること?

 

 

 まあそういうことを言いたいんですよね、僕は。中学受験の時のカイ先生。当時はほんとに迷惑をかけてばかりだったけど、でも今となってはほんとにいい人だと思うし、ほんとに尊敬できる人だなって思います。まあもう向こうは僕のことなんて覚えてないでしょうけど・・・

 

 

 中学受験で塾に通う前は、僕はKUM〇Nっていうところに通ってたんですけど。〇で隠す意味ほとんどねーなこれ。まあKUMONに通ってたわけなんですけど、まあ結構僕はそこでは優秀で、まあAPEXで言うとプレデターみたいな感じだったんですよね。

 

 

 具体的にどれくらいすごかったかというと、通っていたのは大体小学校2年生~3年生くらいの時なんですけど、辞めた時には既にランクでいうと「H」くらいまで進んでましたね。Hっていうのは、KUMONの教材の階級なんですけど、まあA、B、C・・・っていう風に上がっていくにつれてだんだん難しくなってくるんですよ。で僕は小学校3年生の段階ですでにHの領域まで辿り着いてたっていう、まあそういう話ですね。

 

 

 まあ恐らくここまでの話はKUMONに通っていた人間にしか伝わってないと思うんですけど。まあどうなんだろ、内容で言うと、まあ僕は算数しか習ってなかったんですけど、算数でHって言うと大体連立方程式とか、因数分解とか、まあそういう辺りですね、ざっくり言うと。要は僕は小学校3年生で中学校3年生がやることをやってたわけなんですよね。すごくないですか?案外。プレデターみたいな感じですよねこれって。いやマスターくらいか?どちらかというと。いやまあどっちでもいいんですけどそんなことは。

 

 

 で、そのKUMONの、僕が通っていた教室の室長が、ミウラ先生っていうおばさんだったんですけど、この人がすごい優しい先生だったんですよね。どういう点で優しかったかというと、まあ正直言ってあんまり覚えてないんですけど、でも僕がこのミウラ先生のことを思い出そうとするとき、まず優しい印象があるんですよね。っていうことは多分優しい先生だったんじゃないかって、そう思うだけなんですけど。分かります?僕の言ってること?

 

 

 先生も僕のことはすごい評価してくれてて。こいつはすげえみたいな。僕はあんまりよく知らなかったんですけど、母親は今でも、ミウラ先生はお前のことを相当褒めてたって、そういう話をすることがたまにありますね、実際。(まあ今があんまり褒められたもんじゃないっていうのもあると思うが・・・)

 

 

 で、僕は今しがた言ったように、小学生なのに中学校の終わりくらいの内容の問題をやってたわけなんですけど。でも当たり前ですけど、そんなんやっても理解できるわけないんですよね。例題を見て見よう見まねで解いてるだけで、本質的な部分はまったくわかってなくて。だからちょっと難しい問題にぶつかったりすると全然解けなくなっちゃったりするんです。KUMONってのは基本的に授業みたいなのはなくて、自分でひたすら問題を解いていくっていう、それが基本スタイルなんで、だから一回手詰まっちゃったりするともうほぼ””終わり””なんですよね。

 

 

 で、普段は大体昼過ぎくらいに教室に来て、宿題を見せて、その回の問題を解いて、まあ大体普段は4時過ぎくらいには帰れるんですけど、そういう風に詰まっちゃったりする日は6時過ぎとかまでいることになっちゃって。で僕ってすごく泣き虫だったんで、そういう時になると決まって泣いちゃってたんですよね。

 

 

 それで、泣きながらも問題を解こうとするんですけど結局無理で。もう僕はバカみたいに泣いてるんですけど、でもミウラ先生はそんな僕を慰めてくれたり、僕が泣き止むまで教室に置いてくれたりして。なんかすごい優しい先生でしたねなんか。僕だったら正直、小学生の生徒が急に泣き出したらまず最初に「うわめんどくせェ~」ってなりますよ実際。それを優しく慰めてくれたわけで、なんかすごくいい人だったな~って思いますね。まあもう今となっては僕のことなんて覚えちゃいないでしょうけど・・・。

 

 

 まあそういうことですよね。中学受験のカイ先生とKUMONのミウラ先生。他にもいい先生はいっぱいいたけど・・・でも特に印象に残ってるのはこの人たちですね。なんか塾を辞めるときになって、こういう人たちのことを急に思い出しちゃって。つまり、僕に良くしてくれた先生たちのことを。

 

 

 要するに、うーん、なんだろな~、つまり僕が言いたいのは、僕ってのは、いや僕に限らず多くの人間っていうのは、自分が思っているよりもずっと多くの人の、ずっと深い優しさに支えられて、それのおかげでここまでこれたと思うんですよね。分かります?僕の言ってること?

 

 

 だから本当は、僕はその優しさに応えるためにもっと努力をして、もっともっと成長しなければいけなかったはずなんですけど、でもなまじ僕がガイジだったばっかりに、そのことに気づくことができずに、本来するべき努力を怠ってきてしまったって、そういうことを思うんですよね最近。分かります?僕の言ってること?

 

 

 だからなんだろな、僕はさっき、僕を良くしてくれた先生たちに対して、もう今は僕のことは覚えてないだろうってことを言いましたけど、これは僕の推測というよりかは、寧ろ願望に近いものがあるんですよね、実際。僕がその先生たちに久しぶりにあって、先生が僕のことを覚えていたとして、今の僕は彼らが僕にかけた期待と優しさに釣り合う存在には程遠いわけで。だから僕としては、もう僕のことなんかキレイサッパリ忘れてくれていた方が、どちらかというと気が楽というか、申し訳なく思わなくて済むというか、そういう感じのことを思うんですよね。

 

 

 昔アインシュタインの伝記を読んだ時に、彼が物理界で有名になり始めた頃に、ギムナジウムの時に個人的に尊敬していた教師を久しぶりに訪問したら、その教師は彼のことを覚えていないばかりか不審者扱いされてしまい、にわかに失望を覚えたというエピソードがあったんですけど、これはアインシュタインが結果的に大物理学者になったからなんか悲しいエピソードとして扱われてますけど、大多数の普通の、大した業績も残せない人間たちからすれば、これは寧ろありがたいことなんじゃないかと、僕としては思わなくもないんですよね。分かります?僕の言ってること?

 

 

 例えば僕はこの先普通に大学院に行って、まあ2年か、もしかしたら5年研究とかして、その後普通に社会人になって、まあ普通に働いて、まあそういう、普通の人生を送るわけじゃないですか?いや、とても僕にはそういう、いわゆる表敬訪問みたいなことはできないですね、普通に。もしかしたら僕もいつか、もしかしたらなんか、ちょっとすごいようなことを成し遂げて、まあちょっとはその期待に報いることができるかもしれないですけど、でも多分その頃にはその先生方はもうこの世にいないか、僕とゴミ箱の区別もつかないくらいモウロクしちゃってるかのどちらかだと思うんですよね。

 

 

 まあでもそれを言い出したら、この精々100年そこらしかない短い人生の中で、何か世の中に貢献と言えるようなことを成し遂げられる人間が一体どれだけいるか・・・いや、こういうことはあまり言うべきじゃないですね。

 

 

 でもまあ、なんだろうな、こういう風に僕みたいな人間に優しく接してくださった先生方がいて、そして僕はこういう、誰の期待にもそぐわないガイジになってしまって、でもそれでも、そんな僕に教わった生徒もいて、中にはその人生の岐路に少なからず僕が携わった生徒がいるってことなんですよね、結局は。分かります?僕が言いたいこと?

 

 

 僕はその生徒たちに尊敬されたいとか、生徒に恩師と呼ばれたいとか、そういうことは全く思ってはいないんですけど、でも例えば僕の教えた生徒が今後成長して大人になっていって、ある時ふと自分の人生を見つめなおしてみた時に、その記録の1ページの端っこにでも、僕のことを思い出してくれたなら、それはそれで嬉しいことではあるなって、そういうことも思わなくもないですね。まあ少なくともイヤな気持ちはしないと思います。

 

 

 もしかしたらその生徒も、自分のことを教えてくれた先生たちのことを考えて、今の僕と同じような思いを抱くことになるかもしれないですけど、でもそれはそれとして、少なくとも僕は嬉しく思いますね。誰かの記憶に、それもその人を教えた人間として記憶に残るというのは。少なくとも僕はイヤではないですね。もしかしたら人を教えるっていうのは、ある意味ではそういうところに本質があるのかもしれないですね、知らんけど。適当言ってます今。

 

 

 まあそんなことはもうどうでもいいんですけど。

 

 

 でまあそんなわけで、研究が終わって、バイトも2月で終わって、3月はもう全部暇と。All of 暇と。つまりまあアレですよね、うおおおお遊ぶぞおおおって感じですよね、一般的な感性なら。普通の人間だったらね。

 

 

 それで僕はどうしたかというと・・・友達とケンカしました。

 

 

 まあもうほんとに、人生で一度あるかないかくらいの大口論になりましたね、普通に。ケンカっていうか、実際には僕がほぼ10:0で悪いみたいなもんなんで、もうなんかただの負け戦というか、悪あがきというか、まあそういう感じだったんですけど。ていうかそもそも口論っていうか、基本はLINEでの文章での言い合いだったんですけども。でも普通に数日くらいずっとなんか激しく言い合ってたんで、なんかこう、結構アレですよね。天下分け目の合戦って感じですよね。

 

 

 まあアレですね、仲の良かった人と口論をするというのはあまり気持ちのいいものではありませんね、当たり前ですけど。僕ってほんとに人と争うのが嫌い・・・っていうか、普通に泣いちゃうので、女の子なので。だからなんかコイツとは主張が合わねえなみたいな、後々面倒なことが起こる可能性もあるなって少しでも思ったらもう片っ端から、こう・・・”””抹消”””してたわけなんですけども。まさかね~、ほんとにもうかなり長い付き合いの人だったんで、こんなことになるとは思ってもみなかったんで。思ってもみなかったって、普通に僕が悪いんですけど、実際。多分向こうはこっちのセリフだわーッ!って思ってるでしょうけど。

 

 

 そもそもどうしてそんなことになったかというと、そもそものきっかけは、僕はその人とはTwitterでFFだったんですけど、ある日ブロックしたんですよね、Twitterを。そしたらLINEで怒られたっていう、まあそういうところから始まるんですけど。

 

 

 またブロックかよ!!って読者の方は思ってるかもしれないですけど、違うんすよ。いや、別に違くはないんですけど・・・まあなんかもうクセになってんすよね、ブロックすんのが。キルアみたいな感じなんすよ言うなれば。

 

 

 要は結局、どうしてその人が僕と関わろうとしてくるのかってことを考えちゃうんですよね、結局。分かります?僕の言ってること?そんなのって分かりっこないじゃないですか僕からしたら。もしかしたら、なんか僕のことを騙そうと思って近づいてきてるのかもしれないわけじゃないですか。

 

 

 まあなんかそれで怖くなっちゃって。どうしてこの人こんなに僕に関わってくるんだろうって。でなんかそれでブロックしたら、ブロックしないでよ仲良くしようよみたいに怒られて、でまあそれで色々口論になって、でその後数か月間はなんか、険悪って感じほどではないんですけど、まあなんか、””冷戦””みたいな?まあそういう状態になったんですよね。

 

 

 でその最初に言ったケンカっていうのが、2月の終わりから3月の初めくらいまで数日間続いて。ずっとLINEでなんか色々、堂々巡りの口論をずっと繰り返して。でまあなんか相当色々と紆余曲折があって、でまあなんかなんやかんやあってコトは落ち着いてきて、でまあやっぱ僕が悪いわってことになって、まあごめんねみたいな、おにいさんゆるしてみたいな、でまあなんかそれでうまくお互い言い分を聞いて、でまあなんかそのことそれ自体についてはまあなんか和解?できたんですよ多分。ごめんね?みたいな。まあそういう感じ?

 

 

 でもなんか、なんだろうな、僕って結構言葉が割と”””鋭利”””なところがあって、僕がそう意図していない発言で人を傷つけることが結構あるんですよね、まあ意図して傷つけることもたまにあるんですけど。でなんかそのせいで、口論が終わった時には相手の心はもうズタボロみたいな、なんかもう跡形もなくズタズタにしてしまったみたいで、なんか、許してはもらったんですけど、「精神的に疲れたからしばらくは会いたくない」みたいな、ちょっと時間空けたいみたいな、そういうことを言われました。

 

 

 それで、まあなんか正直これに関しては結構僕もなんか割と精神的にダメージを受けていて、だってこんなに人とケンカすることなんて初めてだったから。人をそういう状態になるまで傷つけてしまったことも初めてだったし。なんか僕の方もすごくそれで、なんだろうな、困惑しているというか、いや困惑とは違うんですけど、まあなんか・・・結構心に傷を負ってはいたんですね、実際。僕は客観的に見れば傷つけた側なんですけど、でも人を傷つける人間ってのは、案外その実自分も傷ついてたりするもんなんですよ、実際。分かります?僕の言ってること?

 

 

 だから僕も結構傷ついていて。それで僕はどうしたかというと・・・母ちゃんに連絡しました(競馬に負けた時の粗品風)。母にこれまでの経緯を大雑把に話して、相手をひどく傷つけてしまったこと、僕としては相手に対してこれからどう接していけばいいか分からないみたいな、まあそういう話とかをしました。母は僕の言い分を聞いて、まず僕に「お前が傷つくなんて珍しいね」と言いました。僕は別に傷ついたとは明言してはなかったんですけど。それでそれから母は、僕のことを慰めてくれた上で、「もう付き合いも長いのなら、あとは時間が解決してくれるよ」という優しい言葉をかけてくれました。

 

 

 でもなんだろな、この「時間が解決する」ってのが、僕は昔からどうしても理解できないんですよね。時間が解決するって、何ですか?そもそも。許すか許さないかじゃないのか?時間が経つことで許すことができるってのは、それはつまり怒っている気持ちを忘れるからってことなんですか?”””忘却”””ってことですか?だとしたらそれって本質的に、敗戦国がその歴史を忘れてまた戦争に踏み切るってのと、本質的にどう違うんですか?

 

 

 まあそんなことはどうでもいいんですけど。まあなんだろな、まあ僕としてはやっぱり結構ショックでしたね。というのは、僕は相手のことを思って、相手を傷つけないためにブロックしてるつもりのはずだったのに、そのせいで結果的に相手を傷つけてしまうっていう、なんかそれが、いや~マジかみたいな、まあそんな感じでした。まあ普通にブロックしたことには全面的に僕が悪いんですけども。

 

 

 まァ~でもどうでしょうね、趣味も性格も合わない人間が、その上で僕と関わろうとするインセンティブは何かってところには、やはり考えさせられるところはありますよ、僕としては。いや、例えばですよ、趣味も性格も合わなくても、その人に何か特別な人間的魅力があるならいいんですよ。めちゃくちゃ優しいとか、トークが面白いとか、何ならシンプルに顔が良いとかでもいいじゃないですか、それも十分魅力にはなり得るじゃないですか?

 

 

 でも僕ってそのいずれも持ち合わせていないわけですよね。つまり”””ゼロ”””ってことですよね?つまりどういうことなのかというと、僕に近づいてくる人間っていうのは、そのことにまだ気づいていない人間か、或いはなにか別の目的がある人間ということになるわけですよね。だからなんだろな、怖いんですよね、シンプルに。極端な話、何か騙されてるんじゃないかとさえ思っちゃうんですよ、正直に言って。壺買わされるんじゃねえかみたいな、そういうことを思っちゃうんですよ。

 

 

 インターネッツの人間に対しては別にそんなことないんですけどね。そういうことを思ったことはないんですけど。でもそれはやっぱり、僕のネット上の知り合いが大抵どこかガイジな一面があったり、どこか”””腫れ”””てたりするってのもあるし、そもそも一緒にできる共通のゲームとか話題があるってのもあるし、そもそもインターネット自体皆でバカやる場所、まあこれは僕のイメージですけど、まあそういう印象を僕が持ってるというのもあると思います。

 

 

 でもこれがリアルだと変わっちゃうんですよね話が。第一、僕はリアルだとある程度自分がガイジなのを隠して生きてるんですよ。いやウソでしょ?って思う方もいるかもしれませんが、これはほんとなんです。だってそうじゃないですか?普通に。こんなガイジが普通に人間社会にいたら普通に一瞬で”””抹消”””されちゃいますよね?普通に。だから隠して生きてるんですよ普段は。でも実際、考えてみてほしいんですけど、自分がガイジなのを隠して生きているガイジほど、つまらない人間っていなくないですか?分かります?僕の言ってること?

 

 

 それにね、逆にですよ、逆に考えてみてほしいんですけど、僕がこう、ガイジなのを隠して健常者として生きていますと、それで人間社会に溶け込んでいますと。でそうなった時にですよ、同じコミュニティーに属している他の健常者がですよ、僕を見て「あ、この人健常者なんだな」ってなって、僕と友好的な関係を築こうとしてくることもまああり得るわけですよね?分かります?僕の言ってること?

 

 

 なんかそれもすごくイヤだというか、申し訳なく思うんですよね、僕としては。だって実際僕はガイジなわけで、でも向こうは健常者と思って接してくるわけじゃないですか。そうなったらいずれどこかのタイミングで、僕が実はガイジだったってことがバレちゃうかもしれませんよね?そしたらその人はなんか、うわーマジかこいつガイジかよみたいな、関わって損したわみたいな、”””ハズレ”””引いたわみたいな、まあそんな感じになっちゃうわけじゃないですか。それもイヤだっていうか、相手に申し訳ないんですよね、普通に。だって相手からしたら、同じ健常者のコミュニティー内にいる健常者と友達になろうとしたっていう、ただそれだけじゃないですか、それなのに実はバケモンでしたって、いや普通に可愛そうじゃないですか?分かります?僕の言ってること?

 

 

 だからなんだろな、僕が人をブロックするときって、自分のための”””自己防衛”””という側面もまああるにはあるんですけど、でもそれよりも寧ろ、相手のことを気遣って、相手のより良い交友関係の構築のために、その手助けをしてるというつもりなんですよ、僕は。僕はほんとはガイジだよ!って、警告してる意味合いもあるんですよ。分かります?僕の言ってること?

 

 

 だから僕としては寧ろ、相手のことを不用意に傷つけないように先んじてブロックしてたつもりだったんですけど、そのせいで今回みたいなことが起こってしまったっていうね。逆に相手のことを深く傷つけてしまったっていう。だから僕としてはなんか、うわ~マジかみたいな。こういうこともあるのかみたいな。じゃあこれからどうしていけばいいんだ?みたいな。

 

 

 うーん、でも、なんだろな、例えば僕がブログに書いた、ブロックしたサークルの女の子のことですけど、彼女ももしかしたら、僕のガイジの本質を全て見抜いていて、その上で僕に何か人間的魅力を見出していたかもしれないですよね。だから僕がブロックしたことで、そのせいでひどく傷つけてしまったかもしれないわけですよね。でもたとえそうだったとしても、それを今証明する手段はないわけじゃないですか?いや、例えば僕が彼女をブロックしていなくて、今も彼女と対話することができたとしても、そのことを、つまり彼女が僕を健常者と思い込んでいるのか、それとも僕を騙そうとしているのか、あるいはすべてを理解した上で僕と関わろうとしているのか、それを判別する手段なんてありはしないわけですよね?判別することができなければ、結局それは”””ギャンブル”””になるわけですよね結局。

 

 

 でももしこれがギャンブルだったとして、僕がガイジだと分かった上で関わろうとしてくる人間はこの現実社会では極めて少ないことは容易に想像がつくわけで、そうするとやっぱり本命は僕のことをよく分かっていないか、それか僕のことを騙そうとしてるかの二択になるわけですよね?そうなると結局、僕が彼女をブロックしたことはある意味正解だったってことになっちゃいますよね結局。分かります?僕の言ってること?

 

 

 でも僕がケンカしたその友達は、まあその人は普通に男性なんですけど、その人は少なくとも、僕に何かしら好意的な印象を持っていたらしいんですよね、それがどういった種類のものなのかは分からないんですけど、とにかく僕に何か好意的な印象を持っていて、ほんとに僕と仲良くしたいと思ってたらしいんですよね。でもそれはどこまで行っても”””らしい”””というに過ぎないし、しかもそれも結局、僕を騙そうとしているという選択肢がなくなっただけで、その好意的な印象が僕そのものに向けられたものなのか、それとも健常者のコミュニティに入るために作り上げられた「僕」という名の虚像に向けられたものなのか、それを真に見分けることは絶対にできっこないんですよね。たとえその人本人がそれについて何か言及したとしても、つまり僕そのものを好いているとか、そういうことを表明したとしても、その人が実際に僕のことをどれだけ理解できているかというのは決してはかれないわけで、結局その人の言う「僕」が一体どちらを指すのかは分からずじまいなんですよね。

 

 

 だから結局これは堂々巡りなんです。でもこういう、その人が求める「僕」の理想像と、僕の本質そのものの差異を問う疑問の応酬が絶えないから、だから僕はその根本的な解決として、最も安定で期待値に沿った解答として、サークルの女の子と同じ対応を、つまりブロックという手段を、僕とリアルで友好的な関係を築こうとしてくる全ての人間に対して処方せざるを得ないんですよね。分かります?僕の言ってること?

 

 

 まあでも結局それで僕は人を傷つけてしまったわけで。だから結局分からないんですよね、僕は。こんだけ長々と色々語っておいて、結局僕はこの問題に対する回答を見つけることができないんです。だから結構参っているというか、途方に暮れているというか、まあそういう感じなんですよね。

 

 

 まあ~~~~なんだろね、これは。まあ単刀直入に言って、人間関係向いてないと思いますよ、僕は。どれくらい向いてないかって言うと、APEXのジブくらい向いてないねこれは。ジブってやっぱ射線管理大事じゃないですか。だから射線管理上手い人間って人間関係の管理も上手いんですよ。僕は射線管理も下手。だからジブも苦手だし人間関係も苦手っていうこと。分かります?僕の言ってること?いや何言ってっかわかんねーけど普通に。

 

 

 まあそういう感じですね。まあなんかこういうことがあって、この3月の最初の方は割とメンタル終わってたというか、なんかすごい落ち込んでたんですけど、でもなんか、最近色んな人と会ったり遊んだり、毎日脳死APEXやったりしているうちに、まあ大分気が紛れてきたというか、だいぶ落ち着いてきたみたいな、まあそういう感じですね。

 

 

 ていうかまあ何よりも、こんな落ち込んでる暇なんかないんですよね、僕には。忙しいんすよ3月普通に。遊ぶ予定を入れてるってのももちろんあるんですけど、卒研が終わっても研究は普通にまだ続いてるから少しずつ進めていかなきゃならないし、それに3月末には研究会があってそのために”””英語で”””スライド作って話す内容とかも考えなきゃいけないし、大学院に入学するにあたって書類とか書いたり引き継ぎ作業とかもあるし、それに今研究室の人と自主ゼミというか、勉強会みたいなのをやっていて、それが週2回あるので、そのために予習とかもしなきゃいけないし・・・なんか、色々大変なんですよね実は。

 

 

 でもまあ、何もなくただ時間が過ぎていくよりは、こうやって色々用事が詰まっていた方が、沈んだ気分のことを考えなくて済むという点ではいいのかなとか、そういうことも思わなくもないですね。暇だと色々イヤなことを考え始めちゃって、心を休めるつもりが余計に気分が沈んじゃう結果になるかもしれないですからね。

 

 

 でも僕が思うのは、今はそういう、忙しさで忘れられるくらいの落ち込み方で済んでますけど、もしいつか本当に、自分の人生の進退をも考えざるを得ないような、そんなレベルの大波が僕の心を襲った時に、果たしてこの世界はどれだけ僕に優しくしてくれるんだろうというか、どのように僕はそれを解決すればいいんだろうというか、そういうことを考えないこともないんですよね。

 

 

 まあそんなこと考えたって詮無いことだというのは分かり切ってるんですけど、でもそれはそれとして、やっぱりなんか考えちゃう時があるんですよね。まあそんなこと言ったってしょうがないんですけど。

 

 

 まあそんな感じです。さすがにもうこの辺りで終わっておこうかな。なんか文字数数えたらここまでで16000文字くらいあるらしいし。これで終わっておこうと思います。

 

 

 なんか今までいろいろとりとめのないことばかり記事にしてきましたけど、これが僕史上最も長くて、かつ最もまとまりのない記事になったんじゃないかな?って思います。なんかそれくらい本当に、書こうと思ったことを書こうと思うままに書いたって感じです。

 

 

 ほんとうはなんかテーマごとに沿って2本立てくらいにしてもいいのかなって思ったんですけど、なんか、それはなんか違うんですよね、僕の中では。全部一度に書きたいことを、テーマに沿わないからって言って自制して、2本目に向けてネタをセーブしておくっていうのが、そういうのがなんとなくイヤだというか。僕は日記を書きたいのであって、コラムを書きたいわけじゃないんですよね。分かります?僕の言ってること?僕は僕が思うままに、僕が書きたいことを全部書きたいんですよ。

 

 

 それにこの日記、もといブログは、元々僕が適当に書いて適当に投稿してるものであって、誰が読むことも想定してないし誰も読まないつもりで書いてるんですよね。だからなんか、読みやすさとか統一性とか、あまりそういうことは配慮したくないというか、まあそういう感じなんですよね。

 

 

 そう、そういう感じなんですよ。僕はこのブログを誰一人として読んでないと思って書いてるんですよ。分かります?僕の言ってること?

 

 

 つまり何が言いたいかというと、僕のブログのことで、僕のことをイジってくるのはやめてくださいってことです。やめてねほんとに。「英リサ好きなんでしょ?w」とかやめてくださいほんとに。普通にハズいんで。ちなみに言うとガチで好きです。

 

 

 もっとちなむと、ブ〇ア〇の小〇めともめっちゃ好きです。といってもゲーム配信はあまり見なくて雑談配信ばっかり、それもBGM代わりに流してるだけなんですけど。

 

 

 まあそれを言い出したら、僕はメンバーシップに登録してるわけでもなければスパチャもコメントもしてるわけでもない、ツイートにリプライを送ってるわけでもない、ただtwitterとチャンネルをフォローしてるだけっていう、普通にレベルで言うと一般リスナーの域を出ないんですけど。配信もそれだけを見てるってことは少なくて、大体なんか他の作業してて、その傍らに見たりBGMにしてるとかそんな感じだし、そもそも別にそんな配信毎回追ってるわけでもないし・・・なんか、別にそこまでどっぷりハマってるわけでもないというか、本物のガチのファンの前で好きとか言ったら怒られそうな、そういうレベルのものなんですよね、僕の好きっていうのは。

 

 

 でも別にいいじゃないですか?それでも。僕が英〇サと小〇めとを好きっていうことには変わりはないわけですから。別に配信を毎回見てるわけでも、メンバー登録もスパチャもしてなくても、僕は好きだから好きだと言ってるわけで、別にそれは普通なことですよね?

 

 

 いや、やめとこう。こういう風に変に話を膨らませようとするからダラダラ記事が伸びちゃうんですよね。

 

 

 まあ今回はこの辺りで終わっておこうと思います。また書きたいことができたらこうして日記という形で上げようと思います。

 

 

 それでは皆さん、さようなら~~~

 

 

 

 おわり