修士課程2年間の話

 

 何だろう、今回も思ったことを話していいですか?

 

 まあダメって言われても話しますけど。

 

 ていうか前回のブログどうだった?え、読んでない?あ、そうすか…。

 

 いや、僕が気になったのは、ブログ自体書くのがめちゃくちゃ久しぶりだから、文章のスタイルとかが今までどんな感じで書いてたかとか思い出せなくて、それでちゃんといつも通り書けてたか気になるっていう、そういうことなんですけど。え、読んでない?あ、そうすか…。

 

 それで、まあ今回は修士課程のことについて話そうと思います。修士課程のことっていうか、まあこの2年間どんな感じだったかみたいな?完走した感想みたいな感じですね。

 

 まあ僕は以前のブログでも言ったように就職せずそのまま進学するので、なんかあんまり終わった感はないというか、寧ろこっからが本番みたいなところはあるっちゃあるんですけど、でもまあ一応区切りではあるし?修士論文というデカいタスクを終えて、とりあえずこの2年間の生活に終止符は打てたかなみたいなところはあるんで。修士課程に終止(しゅうし)符ってかw

 

 まあでもなんか修士課程の、というよりは、この2年間の感想って感じですかね、どっちかと言うと。研究の話とかしたってみんなつまんないだろうし、それに修士学生風情が研究について語れることなんてクソほどもないですから。

 

 まあそんなわけで、この2年間について話していこうと思うんですけど、なんかこんなこと言っといて難ですけど、正直何から話していいかよくわからないんですよね、実際。

 

 というのは、あった出来事を全部話していくと情報が多すぎてわけわかんなくなっちゃうし、逆にギューッと集約して、大事なとこだけ抜き出そうと思うと、別にブログほどの文量じゃなくていいかなみたいな、Xでいいかなみたいな感じになっちゃうんですよね。だからなんか、ちょうどいい分量でちょうどいい内容を語るとなると、どこからどう話していけばいいのか、イマイチよく分かってないんですよね。

 

 まあでもとにかく言えるのは、この2年間通して、精神的な状態はあんまり良くなかったってことですね。それで皆さんはきっと、「あーやっぱ修士課程の研究って大変なんだな」という感想をお持ちになったかと思いますが、いや、違うんだよね。別に研究が原因で精神状態が悪くなったわけじゃないんです。寧ろ研究はなんかもう全然、全然みたいな感じでした、普通に。

 

 イヤ、嘘。正直結構しんどかった。いや、うーん、なんだろうな、研究って、順調にいってる時はやればやるだけ進んでいって、全然しんどくないどころか寧ろ楽しい寄りなんですけど、一回詰まり始めるともうどんどん心が壊れていってなんかもう、なんかもうって感じになるんですよね。だから別に、そんなめちゃくちゃにしんどかったかと言われると、まあ別にそんな・・・って感じではあるんですけど、じゃあトータルで楽しかったかどうかと言われると、いや、普通にしんどかったけど・・・みたいな、そんな感じなんですよね、研究って。

 

 まあでもどうだろうな。正直僕は社会人経験もないメンタルクソザコのガキ、いやショタだからしんどいと感じちゃっただけで、別に普通の人からしたら別にこのくらいのストレスは平気で日常的に抱え込めるものなのかもしれません。でもまあ少なくとも僕にとってはしんどかったですね、それは間違いなく。どれくらいかというと、深夜10時くらいに大学の近くの公園に散歩に行って、真っ暗になった神社に参拝しに行くくらいには追い詰められていた時期が何度か、いや割と何回もあったくらいですね。

 

 まあただとにかく言えるのは、確かに僕は修士2年間通して終始(しゅうし)精神状態は悪かったけれども、でもそれは研究が辛いとか大変みたいなことじゃなくて、単に僕の個人的な内面としての問題がほとんどだったっていうことですね。まあ研究の大変さがそれに拍車をかけたということはもちろんあるとは思いますけど。

 

 精神状態が悪い悪いって一口に言うけど具体的に何なのと、なんか適当に精神状態がどうとか鬱がどうとか言ってるだけじゃないのと、そういうことを思われる方もいるかと思いますが、そういう方のために、この2年間僕がどういう状態にあったのかと言うと、まあ端的に言えば「アイデンティティーの危機」ですね。

 

 意味わかる?僕が言ってること?僕はあんまよく分かりません。もう分からないんだよオレは。何も分からないの。でもなんか僕が思うのは、僕の人生って、人生というか僕の人生の過程?みたいな?そういうのを考えた時に、まあ僕ももう24年間生きてるわけですから、その中で人間として成長することもあった?まああるっちゃあったし、色々環境の変化で考え方とか物の見方が変わるってこともあったわけですよ。まあとにかく、そうやって自分の中でそういう、何か内生的な変化があった時に、その変化した後の自分が、過去の自分と?つまり過去の自分の価値観とか、思想とか、怒りとか、そういう過去の自分の構成要素と食い違ってしまうということが割と何度かあって、あったというか、それはその当時にはそう認識していたわけではないんですけど、今思うとそうだったなと思うようなことが何度かあって、そういう過去の自分との対決というか?衝突というか?そういう状態になった時、つまりそういう時の精神状態のことを、僕は「アイデンティティーの危機」だと思っている、思っているというかそう呼んでるんですけども。

 

 意味分かった?僕が言ってることの?僕には分かりません。誰か僕に教えてください。

 

 うーん、何だろ。何と言うか、これは言い訳とかじゃなく客観的事実として、僕って子供なんですよね、いやホントに。ホントに子供なんです。将来の夢とか目標もあるわけじゃないし、何かを頑張ってるわけでもないし、ストレス耐性も低いし、目の前の苦痛からすぐに逃げようとするし、何と言うか、ホントに、この人間社会に適応してどうにか上手くやっていくに足るような能力を一切身に着けていないんです。

 

 そんな子供な僕ももう年齢が二十数年を数えるようになって、いよいよ危機に立たされてしまったというわけです。卒論に心を破壊されて、交友関係でも失敗を繰り返して、精神のバランスを完全に失った状態のまま修士課程に突入して、よう分からん授業に忙殺される日々、研究も思うように進まず、そして進学か就職かの葛藤、将来に対する漠然とした不安と焦燥感。

 

 僕は”脱却”しなきゃいけなかったんです。その危機から。そして過去の自分から。脱却して、別の何かになる必要があったんです。これは自分探しとか成長とか、そういうのとか違うんです。僕は何者でもよかったんです。意味わかる?何者でもよかったんですよ。僕じゃない何者かになれれば。とにかく僕はどんな手を使ってでもこの状況から脱却しなきゃいけなかったんです。

 

 そして結局僕がどうしたかというと、まあ言ってしまえば結局、僕はその判断を保留したんですよね。保留して、後回しにしたんです。3年間の留保。保留の人生。『アカギ』の浦部みたいな感じですよね、知らんけど。何言ってっか分かんねーけど普通に。

 

 なんかもう、僕ってホントにどうしようもないんですよね。ホントに子供なんです。ふつうこのくらいの歳ならこれくらい成熟してるだろうという、そういう水準みたいなものがあるとしたら、僕といったら恐らくその半分にも達していないんです。

 

 だから何だろうな、つまり、時間が必要なんです、僕には。もっと時間が必要だと思ったんです。分かります?僕の言ってること?いっつもこんなこと言ってる気がしますけど、でもまだまだ足りないんです。人並よりもずっと成長の遅い僕が、人並の度量と覚悟を持って人生の決断をするには、もっともっと、もっとたくさんの時間が必要なんです。それが3年で十分なのかは分かりませんけど、でもとにかくそれは今じゃない気がしたんです。分かります?僕の言ってること?

 

 まあこんなこと言ってる時点で僕はまだまだ子供だってことですわ。ホントに僕はどうしようもない人間なんですよ。ホントにどうしようもないんです。

 

 でもこの2年間で気づくことができたのは、僕は本当にどうしようもない人間でホントに人間のクズのカスのウンコなんですけど、それでもなんか、僕に優しくしてくれる人たちがいるんだよね、世の中って。

 

 なんかこれってホントに不思議なんですよね。僕ってホントに何も取り柄がない人間だし、何か人の目を引く特徴とか特技があるわけでもないし、話してて面白い人間でもないし、仲良くすることで何かツテというか、リターンみたいなものを提供できるわけでもないし、要するに、僕ってホントに、この人間社会において、とっくのとうにボコボコにされて淘汰されてもおかしくないような人間なんです。

 

 それなのに、この世の中には僕と仲良くしてくれる人がいて、僕に優しく接してくれる人がいて、応援してくれる人がいて、期待してくれる人がいて、相談に乗ってくれる人がいて、助言をくれる人がいるんですよね。でも精神的に絶不調の時期にあった僕はそういう、色んな人の優しさのおかげで、その人たちの優しさに支えられて、こう、なんというか、アレ・・・なんて言うんですか?あんま言葉が浮かびませんけど。つまりそういう、僕という人間は、確かにダメな人間で、とっくに社会から淘汰されてもおかしくないような人間ですけど、にもかかわらずそうやって僕に好意的に接してくれる人たちがいて、そしてそういうたくさんの人の、恐らく僕が思っているよりもずっとたくさんの人の、ずっと深い優しさに支えられて、こう、なんか・・・なんて言うんですか?あんまり浮かばないんですけど。

 

 なんというか、アレなんすかね?皆さんってなんか、人付き合いをする時に、損得とかリターンとか、そういう系のことって考えない感じなんですか?なんか適当にフワっと、なんかおもろいからみたいな感じでやってるんすか?いや、僕は別に、単純に皆さんと一緒にお話したり遊んだりするのが楽しいから仲良くしたいと思ってるんですけど。皆さんもそうなんですか?一緒なんですか?でも僕自身は別にそんな付き合ってて楽しい人間じゃないですけどね、普通に。まあこれ言い出すと堂々巡りになるんでこの辺にしときますけど。

 

 まあでもとにかく言えるのは、修士の2年間、特に最初の1年間はホントにしんどかったしメンタル的に危機に瀕していたけれども、そういう人たちの優しさのおかげで、それに支えられて、どうにか自分を保つことができたってことですね。僕と仲良くしてくれる人たちのおかげで、完全に世界から孤立せず人との繋がりを保って過ごすことができたし、授業とか研究の苦しみを共有できる仲間がいたから、辛い中でも笑っていられたし、指摘や助言をくれる教員がいたから、どうにか少しずつでも研究を前に進めていくことができたし、僕に期待をかけてくれる家族とか他の研究者の方々とか、そういう人たちがいたから、ああこの人たちの期待を裏切らないように頑張ろうって、その思いでここまでやってこれたんですよね。なんか、これって別に、研究とか僕の人生とかに対して実利的なコミットメントがあったかどうかとか、僕と関係性が近いとか遠いとか、そういう問題じゃないんですよね。人間関係がもし点と線でできたネットワークだとして、別にその点どうしを結ぶ線の長さって問題にならないじゃないですか?それと同じで、僕の足元には人間関係の”網”があったんですよね。関係性という点と線で織りなされた網が。そしてそれが支えになって、僕は自分のアイデンティティーというか、精神性みたいなものを守ることができたんです。

なんかこういうことって、全然今まで思ったことがなかったんですよね。つまりアイデンティティーの危機に立たされる前、僕が自発的に自分のアイデンティティーを規定することができていた時分には。でもそれが喪失の一歩手前に瀕して、自分の存在性とか、存在意義とか、そういう一切のものが分からなくなった時に、初めて僕はそのことに気づいたんです。そして分かったことには、その自発的なアイデンティティーというもの、いや僕がそう思っていたものでさえ、他者との関係性に基づいてしか規定され得ないものだったってことなんです。意味わかる?例えばですけど、僕が自分で自分のことを、人間のクズ、社会不適合者、ショタちんぽ、みたいに評価したとしますよね?でもこれって当たり前ですけど、他者との相対評価でしか語られ得ないものなんですよ。意味わかる?普通の人間がいなければ「人間のクズ」が意味しているところは明らかにならないし、適合するための「社会」がなければ社会不適合者にはなれないし、お姉さんがいなければ「ショタ」は生まれないんです。もしこの世界に人類が僕一人しかいなかったら、僕の人間性とか、アイデンティティーっていうものは決して生まれなかったはずなんです。というのは、単数の性質だけを見た時に、それがその「種」の性質なのか、それともその「個体」が持つ個性なのかを判別することは決してできないからです。だから僕が、いや僕に限らず全ての人間が、自分の個性とかアイデンティティーとか、趣味とか特技とか何やらかんやら、そういうものを考える時、そこには必ず相対評価としての基準となるべき「他者」が存在していなきゃいけないんです。僕はそれに気づいてなかったんです。え?って思うかもしれませんけど、ホントなんです。今まで僕が僕自身について考える時、僕は僕の内在的な性質とか、個性みたいなものを、無意識的に、押し並べて自発的なものだとみなしていたんです。あるいは、僕の中に何か「社会」みたいな、絶対的な指標を自分の中で勝手に作り出して、それに対する評価で考えていたんです。でもその「社会」というのは、言うまでもなく他人との関係性に他ならないんですよね。つまり僕の存在とかアイデンティティーってのは、僕が一人で適当にウンウン唸って考えて捻り出せるようなものでは決してなくて、他の人との関係の中においてしか、そして「他の人の目に写る自分」という観点でしか、規定され得ないんですよね。分かります?僕の言ってること?

 

 まあそういうことですね、僕が考えたのは。

 

 そしてその上で思ったのは、もう、いいと。一旦考えるのやめよっか、って思ったんですよね。僕の存在とか自己同一性とか、もういいよって。そんなんもうどうでもいいよって。でもとにかく僕は、僕に優しくしてくれる人たちのために頑張ろうって、そう思ったんですよね。恩返しとか何やら、そういう高尚なことを言うつもりは全くないんですけど、でもなんか、何だろうな、そういう人たちの優しさに見合うというか?こう言うとまた間違えてるような感じがしてきちゃうんですけど、その優しさに対して、少なくともその分には値する存在になれるようにというか?助言をくれた人たちに応えるために、その助言分研究とか諸々のことを進めたりとか。僕に期待してくれる人たちに応えるために、あ、こいつやっぱ”やる”なみたいな、やっぱこいつスゲェわみたいな?なんかそういう感じになりたいというか。うーんなんか、何て説明したらいいのか分からないっすわ。まあでもなんかとにかく、とりあえず頑張ってみるかって、とりあえず考えるのやめて一旦頑張ってみるかって、そう思ったんですよね。

 

 まあそれで色々頑張ってたら根詰めすぎてまたメンタル壊れそうになっちゃったんですけどね。ハハハ…。とことん人生に向かなすぎるこの体。不便すぎて草。ワロタって感じです。

 

 なんかこれ最近気づいたんだけどね~、あんま頑張りすぎるのって良くないよ、実際。なんか適度に、コンスタントに続けていった方が何だかんだ平均的に良くなることの方が多い、実際。少なくとも僕の場合はそう。

 

 なんというか、僕って知っての通りめちゃくちゃモチベとか感情の上下がデカいんですけど、なんかホントに良くあるのが、モチベがめちゃくちゃ盛り上がってる時に、うおおぉぉマジでやるぞ!人生は勉強や!みたいな感じで、文字通り寝食も忘れて?平日休日問わずずーーっと頑張るみたいなことをやっちゃうんですけど、これは研究とかに限らずゲームとかもそうね?そんな感じで一気に全速前進しちゃうんですけど、ある時にふと壁にぶち当たったり、思うようにいかなかったり、外的なストレスとかに晒されると、それまでの熱量が嘘みたいに一気にしぼんでいって、それでいきなり全然何もやらなくなっちゃうみたいな、そういうことがホントに多いんですよね。いやこれマジで多いんすよ。

 

 でも今までは、まあそれでいいかって思ってたんですよね。頑張りすぎて、その結果燃え尽きたって構わない、って感じです。そこでちゃんと休息を取ると尚良し、ってそれけんた食堂やないか。モチベがなくなったらしっかり休んで、それでモチベが戻った頃にまた頑張ればいいやって、そう思ってたんですよね、今までは。そしてそれで何だかんだやってこれてたんですよね、今までは。

 

 でもなんか最近になってからは、そうやってやってたら、なんかモチベが全然戻ってこなくなっちゃって。無気力な日々がずっと続いて、それでどんどん気持ちも萎えていって、みたいな。なんでなんだろうねこれって。年なのかな?いや、24で年とか言うと僕よりも年配の方に怒られちゃうかもしれませんけど。でも実際24って、もう自分の溢れ出るエネルギーだけで何でもかんでも動かしていけるような年齢ではないじゃないですか。なくないですか?いやまあ別に何でもいいんだけどさ。

 

 でも最近気づいたのが、モチベがめっちゃ有り余ってる時でも、逆にそこを自制して努力の量を抑えて、休息をちゃんと取るようにすると、そして逆に、モチベがそんなに湧かない時でも、少しでも簡単にできるタスクを見つけて少しずつ片付けていくようにすると、なんか長持ちするんですよね、モチベーションが。これホントに最近気づいた。皆知ってた?知らなかった人は是非今度やってみてください。

 

 あとこれも最近気づいたんだけど、生活習慣とかもちゃんと正した方がいい。いやこれホントにガチだから!なんか怪しい自己啓発的なやつじゃなくて実体験だから!ホントにこれガチなんですけど、同じ睡眠時間でも、4時寝12時起きよりも0時寝8時起きの方が能率いいし、カップ麺とかエナジードリンクとかやめて、ちゃんと食事摂って栄養バランス整えた方が明らかに体調がいいんです。精神の状態も全体的に良くなるし、別に体調は普通だけどなんとなく体がダルいみたいな時も明らかに減りますよ。これホントにガチだから!嘘だと思ったら試してみてくださいホントに。

 

 なんか僕って、今までずっと自分が夜型だと思ってたんですよね。夜の方がなんか活発に動く気になれるし、それになんか、普通に生活してると寝る時間がどんどん遅くなってくんですよね。ある日0時に寝たら次の日0時半くらいにならないと眠くならない、みたいな。そして次の日0時半に寝たら次は1時に寝るんですよね。ずーーっとそうだったんですよ。だからずっと僕って自分のこと夜型の人間だと思ってたんですけど。でも違ったわ。単に日中活動してないから体力が有り余ってるだけだった。ちゃんと毎朝起きて昼間に活動してたら普通に夜寝れるようになった。ていうか何なら寧ろどんどん早まってる最近は。0時寝かと思ったら11時になってる。いや、これは普通に単に体力が衰えただけな可能性は無きにしも非ずだけど。

 

 まあそういうことですね。どういうことだよって感じですけど。まあとにかく、この2年間色々あったけれども、色んな人たちのおかげでどうにか生き延びることができたって感じです。そのことについては、もう感謝してもしきれないくらいです。そして今はそういう人たちのために、ためにって言うとなんか変だけど、そういう人たちに向けて頑張っているって感じですね、今は。

 

 でも大事なことには、僕の「危機」はまだ去ったわけではないんですよね。僕は単にその決断を保留したに過ぎない。また数年もしたら同じ危機がやってくるのはもう既に決定事項になってるんです。そしてもっと大事なのは、もうこれ以上の保留はできないってことです。もう次は、次こそはいよいよ決断しなきゃいけない。そしてその時までに僕がそれに必要な余裕と覚悟を持って迎えられるかは全く以て分からないんです。

 

 でも一つ違うのが、僕はその「危機」を一度体験しているということですね。そしてそれが次また来ることも分かっているってことです。これはデカいね、実際。いや本来なら、つまり普通の人間であれば一度目の時点でとっくに対応できてるとは思うんですけど。でもこれは実際デカい。その危機に相対するだけの能力と成熟がその時の僕にあるかは全く分からないことですけど、でも少なくともその危機が来るということを知っていれば、それに向けて準備することはできるわけですから。

 

 だから僕がこれからやるべきは、つまりそれに向けて準備するってことです。僕はもっと人間として?社会に出るためのまっとうな人間に向かって成長していかなきゃいけないし、もっともっと、何と言うか、何だろうな、色んなことを知っておかなきゃいけない。勉強しておかなきゃいけない。考えていかなきゃいけない、ってことです。だから僕の今後の人生、ホントに予断を許さない状況なんです。少しずつでも、この現状を脱却するために頑張らなきゃいけないんですよ、僕は。これは他ならない僕のためにです。

 

 でもなんか、こういうことばっか考えちゃってるからなんですかね、なんか最近、生活してて、息が苦しいんですよね。息苦しいというとなんか違うな。なんか、何て言えばいいんだろう、まあ要するに、端的に今の僕の状態を言えば、余暇を心から楽しめないんですよね。分かります?僕の言ってること?

 

 何と言うか、なんかゲームしてたりとか、ダラダラYouTubeとか見てたりすると、まあそうやって休むこと自体はできるんですけど、なんか心のどこかでは、アレ、あの作業進めとかなくて大丈夫かな・・・とか、あ、あの勉強今のうちに進めとかないと時間取れないよな・・・とか、あ、昨日図書館で借りた本まだ読み終わってないな・・・とか、って、なんか色々と考えが渦巻いてきちゃって、僕を現実に引き戻そうとするんですよね。現実というか、何だろう、少しでも何か生産的な活動に駆り立てようとしてくるんです。それがなんか、悪魔のささやきみたいな感じなんですよね。普通逆じゃないですか。普通悪魔のささやきって、娯楽に誘惑してくるものじゃないですか。でも僕の中では、天使の方が寧ろ休め休めって言ってくるんです。お前これ以上やったらメンタル持たないだろと、土日はちゃんと休むって約束だったろって言ってくるんです。でもなぜか悪魔の方が、いや、平日は研究してるんだから土日に本読んだり勉強しないと一生進まないだろ!ほら、頑張れ頑張れ!って、頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ!って、いやそれ松岡修造やないかい。

 

 だからそれでなんか最近は、休んでないとか、休めないとかいうわけでは決してないんですけど、でも休むときには必ず、「時間を無駄にしている」という意識が必ず心のどこかに引っ掛かってるような状態なんですよね。これがホントに息苦しいんです。分かる?僕の気持ちが?ホントに息苦しいんですよ。

 

 どうして、どうしてこんなことになっちゃったんですか?昔はもっと、いや昔どころか、ほんの数年前までは、もっと純粋に、気軽に娯楽を摂取できていたはずなんです。時間を消費的な活動に捧げることができていたはずなんです。それどころか、もっと遡って、中学生高校生の時なんて、純粋どころか、そもそも時間の無駄とかなんとか、そういう概念すら考えていなかったはずなんです。ただ目の前のことに熱中して、楽しんで、それで十分だったんです。毎日毎日文芸部の部室に通って、みんなでボードゲームして帰る、そんな何の生産性のない日々を送ることに何の疑問も抱かなかったし、それが数か月、いや1年2年と続いても全然飽きないどころか、寧ろそれが永遠に続いてもいいとさえ思っていたはずなんです。

 

 何だろう、なんというか、魔法、みたいな感じなんですよね。意味わかる?僕は魔法にかけられていたんです。あるいは、この世界のあらゆるものが、魔法に満ちていたんです。分かります?僕の言ってること?キラキラと、輝いて、星みたいに。僕はそれをバカみたいに追っかけてるだけで満足だったんです。分かります?僕の言ってること?

 

 それが今はなんて下らない!有意義とか、無意味とか、自分勝手に物事に順序付けして、自分がやることなすことを規定付けようとして、やることなすことに正当性を与えようとして、そういう行為自体が一番無意味なことだって気づいていながら、それを辞めることができないんです。どうして、どうしてこんなことになっちゃったんですか?誰が魔法を解いてしまったんですか?誰が星を隠してしまったんですか?それとも変わってしまったのは僕の方なんですか?

 

 分かりません。もうホントに分からないんですよ僕は。でもこれだけは言えるのは、僕はどうあれ、心の奥底では、何か純粋なものを求めてるってことです。純粋に何かを楽しみ、純粋に何かを追い求めて、純粋に何かと向き合う、そういう飽くなき純粋さを、そしてそういう日々を望んでる。にも関わらず皮肉にも、僕の現状からの脱却という卑小な希求は、内在的な成長への要求は、僕をそういう純粋さからいよいよ遠ざける方向に僕を運び去っていくんです。

 

 なんか、どうしてこうなっちゃうの?どうしてこうなっちゃったんですか?僕の人生、どこで間違えてしまったんでしょうか。中学受験をせず共学に行ってたら変わりましたか?大学受験もっと頑張ってもっといいところに行ってたら変わりましたか?ピアノをずっと続けていたら変わりましたか?マリオを16分台、15分台出すまで頑張ってたら変わりましたか?サークルから逃げずに最後までやり切ってたら変わりましたか?サークルの女の子を、そしてサークルの人たちをブロックしていなければ変わりましたか?それとももう最初から何か間違っていたんでしょうか。僕は一体どうして、いつからこんなバランスの悪い人間になってしまったんでしょうか。

 

 まあそういうことですよ。つまりどういうこと?って感じですけど。いや、そうやって一言で表せるんだったら、ってもういいかこのくだりは。まあ一言で表してもいいですけどね、今回は特別に。つまり今僕が思っていることを一言で言うと、

 

 

 

チクショーーーーー!!!!

 

 

 

って感じです。って、いやそれコウメ太夫やないかい。

 

 でも実際チクショーって感じですよ。まいにちチクショーって感じです。どうしてこんな生きづらいんだって思いますよ、世の中。これ僕だけなの?生きづらいの僕だけ?いや、そういうのいいから。僕よりもっと苦しい環境の人もいるとか、それは恵まれてる人間の悩みだとかどうとかこうとか、そういうのいい。そういうのいらない。実際僕は今生きづらいんです。調子が上振れて下振れて、どうにも極端でしかいられなくて、それでもどうにか人並みになろうとして、仮初の理屈で自分を奮い立たせて、その挙句、自分が求めるものと望んでいるものとの間で引き裂かれて苦しんでいるんです。

 

 なんというか、これって僕だけなん?こんなライフステージごとに苦しい思いしてんのっておかしいんか?他の人はなんか適当にフワっとやってればぬるっといけるもんなん?

 

 逆に聞きたいんですけど、皆さんってどうやって”大人”になれたんですか?皆さんって、僕が知った時は大体みんな大学生だったと思いますけど、なんか普通に働き始めて、なんか普通に社会の中で暮らしていけてて、でも一方で普通にマリオとか趣味も続けられてて、なんか普通に、自我を維持しつつ環境を変えてそこに適応できてるじゃないですか。人間社会と折り合いをつけて、自分の人生を歩み続けていられてるじゃないですか。いや、なんでなん?どうやったらそんな芸当できるんですか?普通になんか適当にやったらできるもんなんですか?それ。僕はなんか、めちゃくちゃ精神的にボコボコにされて、どうにか足掻いて足掻いて、必死に頑張って、ようやく現状維持みたいな感じなんですケド。これって僕がザコいだけ?それとも皆さん、表には出さないだけで実はめちゃくちゃ頑張ってて、それである種の悟りというか、高い精神性に達してるみたいな感じなんですか?それともこの僕の頑張りとか足掻きとかが、一般のレベルからしたら普通に全然足りてないみたいな、単に僕が甘えてるだけみたいな、そんな感じなんですか?

 

 もう分かんないよ僕は。本当に分からない。人生が何なのか。何が正しくて何が間違ってるのかもわからないし。僕の人生これからどうなっていくのか、どうなっていくべきなのか。まるで分からないんです。ただ僕が言えるのは、たとえその結果が現状維持に過ぎなかったとしても、僕は足掻き続けざるを得ないんです。どうにか頑張っていく以外に選択肢がないんです。さもなくば、アリジゴクみたいに、どんどん砂の中に呑み込まれていってしまうような気がするんです。そしてそれがある段階に達した瞬間に、フッ、って、深い闇の中に落ちていってしまうような、そしてそこに落ちてしまったが最後、二度と元の場所に戻ってくることができないような、そんな気がするんです。だから僕はどうにかジタバタ手足を動かして、今ある場所に留まらざるを得ないんです。分かります?僕の言ってること?

 

 なんかもうホントに生きづらいですよ。とかくに人の世は住みにくい、ってやつです。漱石みたいな、溌溂な感性と才能を備えた文豪でさえ生きづらいと言ってるんです。僕みたいな何の才能のない凡夫が感じる生きづらさといったら、もう想像に難くないってもんですよ。

 

 そして何が一番やばいって、これ言ってるのが、今ここで生きづらいだのなんだののたまってるのが、24歳独身男性ってことだけどね。これがマジで一番ヤバい。いつまでそんな子供じみたこと言ってるん?君の同期は今ごろ普通に自立して普通に働いて、普通に社会に適合して生活できてますってハナシ。そしてこれから普通に結婚とかして普通に子供とか産んで、普通に出世して普通に部下を持って、そういう普通の、人並みに幸せな人生を普通に全うしていくんです。そしてその普通に生まれた子供が、普通に育てられて普通に成長して、また普通に自立して普通に社会に出て、それを繰り返して、普通の人たちの社会が、世界が出来上がっていくんです。僕は何ですか?24歳になってもメンタルがどうのアイデンティティーがどうの、目の前の危機から逃げて保留して、成長とか何とか言って、純粋なものがどうとか言って、適当な理屈で、自分で自分を傷つけてる。僕は何?24年間生きてきてこれ?お前のこと誰が好きなん?って、いやそれ粗品やないかい。

 

 24歳にもなってこんなこと言ってるの、実際ヤバい。そしてこういうことをのうのうとブログに書いていられるのもヤバい。ヤバいって。このままじゃ厳しいって。ガチで危機感持った方がいい。男として成熟しない、って、それジョージやないかい。

 

 まあでもなんか逆に、こういうことを、つまり人生がどうとかみたいなことを、中学生高校生とかが言ってたらと思うと、それはそれでイヤだけどねなんか。いや普通に全然まだ子供でええやないかってなっちゃう。とうとう子供にこれを言わせるのか・・・ゴア王国!って、それワンピースやないかい。

 

 

 

おわり