何かがおかしい男の日記

 

 こんにちは~アルルです。

 

 皆さん、あけましておめでとうございます!!!今年もアルルブログをなにとぞよろしくお願いします~~~!!

 

 

 

 

 って、あけおめちゃうわーーーっ!!!寝ぼけたこと言っとんちゃうぞコラーーー!!!もうとっくに4月なっとんじゃボケーーーーーー!!!!

 

 

 と、そう思われた方も、中にはいらっしゃるかもしれません。いや、、、、

 

 

 

 

 

黙れ!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 こっちだって色々忙しかったんですよ。それにあんまりブログを書くほど精神的に余裕もなかったし。

 

 忙しかったっていうか、忙しい、普通に、今も。めちゃくちゃ忙しいし、何なら少なくとも5月中頃くらいまではこの状況が続きそうで、なんかもう正直言ってブログとか書いてる暇ないんですよね、ぶっちゃけ。まあ書いてるんですけど。

 

 それに、ブログを書きたいという気持ちは僕の中でもちろんあるんですけど、何を書けばいいのかよく分からないというか、これまでの間に起きた出来事とか考えたこととかがあって、普段だったら暇な時間にそういうことをアレコレ思い返して、頭の中である程度整然と並べ替えて、その中で1つのテーマ性に見合ったものを抜き出して、それにフォーカスしてブログを書くということができたんですけど、今はそんなことをする暇も余裕もないみたいな状況で、今こうしてブログを書いてはいるものの、この先僕が何を書くかは全く決まってないし、どういう風に話を進めていけばいいのかも全く分からないっていう、なのにブログを今書いてるっていう、そういうヤバい状況なんですよね今。

 

 それでもなんでブログを書いてるかというと、これ以上ブログを書かない時期が続いたら文章を書く習慣がなくなるというか、このまま一生ブログ書かなくなっちゃうんじゃないかという危惧があったからですね。それにあんまり長いこと活動を止めてると、ブログのことも僕のことも何もかも皆から忘れ去られて、「アルル…?そんな奴いたっけ?」みたいになりそうで、そうなったらイヤだなと思ったんで。なんか、イヤじゃないですか、そういうのは?

 

 まあそういう思いで筆を取ってみた(実際にはキーボードだけど)ものの、正直書くこともあんまり思いつかないし、いや、別に書くことがないわけではないんですけど、かいつまんで話すと「忙しかった」の一言に収斂されちゃうし、逆に全部をつまびらかに話すと、多分もうブログってレベルじゃねーぞオイ!な分量になっちゃいそうで、でもだからと言って、どれがここで話すべき大事な内容で、どれが本質的でない些末な内容かも別に分からないみたいな、だからそれで結局本題に入れずにいるみたいな、まあそんな感じですよね、今。

 

 まあでも正直な話今までのブログを思い返しても、書く内容こそある程度決めてから取り掛かってはいたものの、細かいお話の流れとかはその場のノリと気分でやってたし、別になんかテーマ性とかも最初から明確に決めてたわけじゃなくて、なんか適当に後付けでそれっぽい感じにしてたみたいなところはあるんで、なんか今回もそれと同じような感じで、その時その時思いついたことを思いつくままに書いていけばいいのかなという気がしてきました、今。これ今の話ねちなみに。今っていうのは、この文章を書いている今この瞬間ということです。つまりライブみたいな感じですねこれは。

 

 まあそういう感じで、まあこんなところでウダウダ言ってても仕方ないんで本題に入っていこうかなと思います。今回はホントに適当なので目次とかもなしで。

 

 じゃあまず、僕が何で忙しかったのかという話をすると、まあ論文ですね、端的に言えば。これはまあいわゆる修論とかではなく、なんか普通の、雑誌みたいなのに投稿するための論文で、僕の研究もまあそれなりに成果が出そろってきて次の段階への足掛かりもでき始めて、まあそろそろ論文出せんちゃうん?みたいな、まあそれを言い出したのはマブですけど、まあそんな感じで、論文を書き始めたわけですね。それが大体1月中頃の話。

 

 で、まあこの論文なんですけど、我々物理学の分野ではPhysical Reviewという、アメリ物理学会が出版している論文誌(分野によっていくつか種類がある)が、まあいわゆるインパクトファクターのある雑誌として認知されていて、それに投稿する予定なんですけど、まあ見ての通り英語の論文誌なわけですね。つまりどういうことかというと、論文を英語で書かなきゃいけないと。

 

 これがもうめっちゃキツイわけですね、実際。だって僕英語で文章書いた経験なんて英語の授業で作文を何回か書かされたくらいしかないし。ていうかそれもほとんどサボってたし。僕は英語の語彙も文法ももちろん知らないし、論文っぽい英文の書き方なんて考えたこともないし、科学的な専門用語が英語でなんて言うのかも全く知らないんです。言ってしまえば小学生が論文書くようなものですからねこれは、言ってしまえば。

 

 それでもまあ書かなきゃいけないものはしょうがないんで頑張って書いてたんですけど、ある程度書きあがったところでマブに、マブっていうのはつまり、僕は研究室の先生のことをそう呼んでるんですけど、マブに途中段階のものを見せたら、「うーん、ここのセクション丸々いらなくない?」みたいなことを言われたりしてですね、もう、なんというか、あああぁぁ!!!!って感じなんですよね。

 

 しかもそんなこんなでも、最近になってようやくある程度形になってきてたってのに、なんか色々データ集めてたら新しい現象みたいなのが見つかってそれを調べるために色々論文を読まなきゃいけなくなったり、今まで物理的な計算誤差だと思って論文に色々その原因とかの考察をダラダラ書いてたのが、実はただの計算コードのミスだったことが発覚してそのセクション丸々書き直しになったりとか、なんかそういうアクシデントが重なりに重なって、なんかもう、ヤバいことになってんすよ今。

 

 しかもこの後者のコードのミスから出てきた誤差ってのは、11月くらいからずっと抱えてた問題で、研究を進めていた後半の方はほとんどこの誤差の原因を調べるためにやってたようなもので、だからまあ、言ってしまえばこの数か月間のほとんどが、単純なコーディングのミスのせいで失われたってことになるわけですよ、言ってしまえば。だから論文を取り掛かっている期間で言うと、もうかれこれ1月中旬から2か月以上たっているというのに、未だに完成の目途がイマイチ立たないみたいな、そんなことになっちゃってるわけなんです。

 

 なんかもう・・・分かります?つまりどういうことかというと、ヤベェってことです、端的に言うと。

 

 まあでも、それだけなら良かったんですよ。いや、良くはないけど。それでもそれだけなら、ただ研究を進めて論文を書けばいいっていう、それだけならまだギリギリ耐えられたはずなんです。

 

 でも実を言うと、僕にはこの2月3月、論文の他に重要な用事が2回入っていたんです。

 

 

 出張です。しかも1回は2週間の超長期間のもので、2回目も比較的短いとはいえ5日間っていうね。しかもどっちも沖縄!!!!!

 

 もう気が狂いそうになりますよ、実際。正直沖縄なんかもう二度と行きたくねえってくらいの気分ですね、今は。ただ恐らく、このままいけば来年のこの時期も同じ研究会で沖縄に出向くことになる・・・。

 

 1回目の出張の方は、まあ研究会っていうかウィンタースクールみたいな感じで、レクチャーとかを受けつつ議論とかをしてみたいな、そういうのがずっと続く感じですね。で、場所の方なんですけど、沖縄は沖縄でも那覇とかそういう都市部の方じゃなくて、恩納村(おんなそん)っていう、なんかバリバリリゾート地みたいなところで、そこのめっちゃ豪華なリゾートホテルみたいなところに泊まって、その中の会議室みたいなところを借りてやるみたいな感じでした。

 

 なんかこれだけ聞くと、えめっちゃいいやん!みたいな。オレもリゾート地に泊まりてぇ~wみたいな、そんな浅はかなことを思った大バカ者も出てくるかと思うんですけど、いや実際マジでキツかったんですよこれが。

 

 まず以てこの研究会、公用語が英語なんですね。しかも主催団体の中に北欧の某大学が含まれている関係か、その方からの学生がワラワラ参加してきていて、内訳で言うと日本人が大体20人ちょい、北欧が15人くらい、南アフリカが5人とか?あとは中国の方とかなんか諸々の人たちで合わせて50人くらいみたいな、なんかもう物凄い、なんか多国籍軍みたいなことになってたんですね。

 

 これの何がヤバいかというと、まあ一見すると皆英語を話すのでコミュニケーションは問題ないように思われるんですが、実際には英語と言っても各地方で訛りというか、発音のクセみたいなものがあるわけで、つまり皆がみんな自分の思い思いの発音で英語を話すわけですね。

 

 で、まあそれでも、ネイティブスピーカーとか、第二言語レベルで話せるような人だったらそれはそこまで問題にならないと思うんですけど、僕ら日本人なんてのは一般的なTOEICで話されてるような発音ですら聞き取れない英弱民族なわけで、まあ要するに、ムリなわけです、ぶっちゃけ。

 

 にもかかわらず、向こうはアカデミアにいる以上日本人でも当然英語は喋れるものと了解していますので、容赦なくネイティブ並みの早口で英語をまくしたててくるわけです。

 

 そんな地獄のような時間が大体朝の9時から18時くらいまで続いて、そしてそんな地獄のような日々が約2週間続くと想像してみてください。な、地獄だろ?な?な?まあ実際には土日休みが間に挟まるので2週間フルでそうだったわけではありませんが・・・。

 

 しかもなんか彼らって、本質的に陽キャなんですよねなんか。特に北欧出身の奴らね。なんか知らんけどめっちゃ話しかけてくるし、めっちゃ陽気だし、なんか毎晩酒飲んでパーティしてるし。普通に怖いなんか。

 

 2点目は、周りに何もないことですね。これはリゾート地であるがゆえの必然なんですが、まず公共交通機関みたいなものは時たま来る空港行きのバス(しかも空港まで2時間近くかかる)の他に何もないわけですね。そしてホテルは海沿いに伸びている長い国道沿いにあって、散歩しようにも何もない一本道、最寄りのコンビニはホテルから1.1km、飲食店は居酒屋か、なんか知らんけどめっちゃ高い店(最低でも1人3000円くらいはいく)しかないし、なんかもう、つまり、ホントに何もないんです。

 

 例えば9月に行った岡山の出張の時には、スキマ時間に適当にお店探して入ったり、観光とか、その辺をブラブラして回ったり、そういう自由な時間の使い方ができたんですが、ことこのウィンタースクールに限っては観光する場所なんてもちろんないし、コンビニ食以外にまともな食事処もないし、まあつまるところ、時おりコンビニに買い出しに行くほかは2週間ほとんどホテルに籠りっぱなしみたいな状態だったんですね。

 

 それがなんかもう、僕にとっては結構なんか、アレでしたね。特に日中は意味わからん英語の講義で精神的に参ってる上でのコレですから、なんかもう、ホントになんか・・・ホントにきつかったです。それだけです、僕が言えるのは。

 

 唯一観光っぽいことができたのは、土日休みの土曜日で、この日は主催者の側でexcursion、まあつまり遠足ですね、それが企画されていて、皆でバスに乗って色々観光して回るみたいな、まあそういうことをやりました。これが唯一と言っていい観光の時間でしたね。

 

 ただ行った場所というと、なんか有名な泡盛の生産工場みたいな?ところに行ったんですけど、正直僕はあんまりお酒は得意じゃないので別に・・・って感じだったし、有名な美ら海(ちゅらうみ)水族館にも行ったんですけど、なんか土曜日でクソ混んでたし、しかも時間の制約で全部回り切れなかったし、なんか、まあ・・・って感じでしたね。まあ楽しかったっちゃ楽しかったですけどね、どっちかというと。

 

 あと観光というとちょっと違うかもしれないですけど、ホテルのすぐそばに海があるということで、折に触れて海の方に出てきては、なんか適当に写真とか撮ってたりしてました。めんどくさいんで全部は見せられませんけど、まあ何枚かピックアップして載せておこうかな。

 

 

 

 

 

 こんな感じです。結構イイ感じしょ?ただ惜しむらくは、僕らがいた2週間ずっと天気は曇り空で、夕日が海に沈んでいくまさにその瞬間をとらえることができなかったことですね。

 

 まあそんなことはどうでもいいんですけど。まあ要するに、この2週間の出張は僕の中でかなりハードなものになったということです。

 

 出張は2月19日から3月4日にかけて行ったんですけど、この時ってちょうど論文執筆にも勢いが乗り始めた時期で、僕は当初は、つまり行く直前には、出張中のスキマ時間でもどんどん論文を書き進める心づもりだったんですが、上で言ったように毎日がハードすぎて、論文進めるどころか生きていくのがやっと、精神状態を維持するのがやっとみたいな、まあそんな感じでした。

 

 じゃあ講義以外の時間は何をやってたのかというと、まあ大体はルームメイトとお話してましたね、実際。部屋は4人1部屋で、ルームメイトは僕と同じ研究室のM1(9月入学なので半年ズレている)、同じ大学の別の研究室のM1、あとは東大にいる中国人の方(M2)で、まあそれなりに仲良くなれたんじゃないかと思います。

 

 同じ研究室の人とはもちろん元から交流はあったわけですけど、でもこうして寝食レベルで行動を共にしてると、話す機会ももちろんめちゃめちゃ増えるし、その人のこれまで分からなかった側面みたいなのも垣間見えたりして、なんかまあそれまでよりも関係値は深まったんじゃないかなあと思います。結構彼も僕に負けず劣らず”ホンモノ”寄りなので、まあ話してて面白かったですね。

 

 同じ大学の別研究室の人は、実はこの時が初対面だったんですけど、案外気が合って、一緒にAmazon Primeで映画見たりとかして、なんか結構仲良くなれましたね。連絡先も交換して、この前なんかは彼と彼のガールフレンドと一緒にマインクラフトして遊んだし、それにこの前僕東海の方に旅行に行ったんですけど、その時のメンバーもこのルームメイト3人だったんですよね、実を言うと。だからなんかまあ、結構思ったより仲良くなれましたね、彼とは。

 

 中国から来た方は、途中参加で8日目くらいから来た方で、最初は日本人3人に囲まれて若干居づらそうな感を出してたんですけど、まあそれなりに仲良くはなれたんじゃないかと思います。寡黙な方で、あんまり積極的に話しかけてくる感じではなかったんですけど、こっちから話しかけたら割と何でも話してくれるし、講義で分からないこととか聞いたらめちゃ丁寧に教えてくれるし、演習の授業で僕が手詰まってそうだったら「大丈夫?」って声かけてくれたりしたし、なんか、すごいいい人でしたね、実際。最後の何日かは、頑張って英語でルールを教えて、ルームメイト4人で大富豪とかやってました。まあ楽しかったですね、実際。

 

 まあそんな感じですね。ルームメイトに関しては、まあ割と恵まれた方だったんじゃないかと思います。ていうか万が一北欧のパーティ大好き軍団に囲まれてたらと思うとゾッとしますね、普通に。最長でも3日保たなかったんじゃないかと思います。普通にヤバかったからね彼ら。

 

 ただまあやっぱり、なんというか、僕ってやっぱり根本的には一人でいることを好むんですよね、実際。いや、この言い方はあんまり良くないな。誰かと一緒に話したり、遊んだりするのは好きだし、人と一緒にいる方が楽しいことももちろんあるんですけど、でも僕はそれと同じくらい、一人でボーっとしたり、何か考え事をしたりする時間も好きだし、大切だと思ってるんですよね、僕は。だから、ルームメイトと過ごした時間ももちろん楽しかったんですけど、とはいえ2週間プライベートな空間が一切ない、一人でのんびりできる時間が全くないというのは、やっぱりそれ自体は辛かったですね、正直なところ。

 

 ただどうだろうな、じゃあ相部屋じゃなくて一人部屋がよかったのかというと、それはちょっと違うんですよね。というのは、もし仮にずっと一人だったら、間違いなく、講義のストレスを誰にも発散できずに、そのまま精神的に摩耗して最終的に発狂して全てが終わってたと思うんですよね。ルームメイトの交流があったから、2週間辛くてもどうにか乗り切れたし、イヤだった出来事も笑い話にできたし、楽しい思い出もいくつか作れたしみたいな、そういう側面はもちろんあると思ってるんで。だからそういうことを考えれば、プライベートな時間がないというのも、まあこれはある種必然というか、仕方のないことというか、辛い2週間を乗り越えるための必要な対価だったんじゃないかと思っています。

 

 まあそういう感じですね。つまりまとめると、2週間ホントに辛かったんですけど、でもあながち辛いことばかりじゃなくて、楽しいこともまあそれなりにあったみたいな、まあそういう感じです。まあ辛かったけどね、どっちかというと。トータルで言えばマイナスだけどね普通に。どっちかというとじゃなくて余裕でマイナスだけどね普通に。

 

 

 まあそういう感じです。それで、3月4日に帰ってきて、何をしてたのかというと、まあもちろん論文を書いてたんですけど、それの他にやらなきゃいけないことがいくつかあって、それをやってました。

 

 1つは学会発表の準備です。実を言うと、3月22~25日には物理学会という、まあ僕の属する物理学の分野全体で行われるビッグな大会があって、そこで僕は口頭発表を行うことになっていたんですが、その発表の練習会(隣の研究室との合同)が3月17日に行われることになっていたので、そこまでにスライドをある程度完成させておかなければいけなかったんですね。

 

 しかも先ほど言った2回目の出張というのが、3月12日~16日の日程、つまり発表練習の前日までたっぷりあるということで、僕としては是が非でもこの出張までにはスライドを完成させておきたかったわけです。

 

 まあそれでスライドを作ってました。あと他には、これは全然別件なんですけど、2月にプライベートの方でとんでもない事件が起こって、それの後処理というかなんというか・・・ちょっと今話すと色々こんがらがるのでこれは後で気が向いたら話します。

 

 あとはシンプルに研究を進めてました。え、論文書いてるんじゃないの?と思われる方もいるかもしれませんが、別にそれはあんまり関係ないんですよね、実際。僕の研究は論文書いて終わり!閉廷!ってなるようなものじゃないし、寧ろこの成果を足場にしてこれからどんどん色々な拡張や応用を目指していかなきゃいけないわけですから。逆に言えば論文というのは、そういう長いスパンの研究の中で、ある程度区切りがつけられる成果が出たらまとめておくくらいの立ち位置であって、つまり今この状況でも僕の第一のタスクは飽くまで研究なわけですね。

 

 まあそんな感じで、4日に帰ってきてから12日までの約1週間、まあそれなりに忙しくしてました。ていうか、この3月忙しくなかった瞬間なんてないけどな、普通に。この3月僕はずーーーーーーーっと忙しかったんだから。twitterではあんまり”””闇”””の側面を表に出さないから、ただのんびり研究しつつ時々遊んでる奴だという印象にしかならないかもしれないけど、僕はホントにここ最近はずーーーーーーっと忙しい。それだけは是非わかっておいてくれ。

 

 それで、アレコレのタスクに追われているうちにすぐに3月12日を迎えて、2回目の沖縄出張に旅立つことになりました。これは、というかこれも、研究会というよりかはほぼスクールみたいな感じなんですけど、ただ前回と違って公用語は日本語だし、取り扱う内容も僕の研究とか興味にかなり近いものだったし、それに同じ沖縄でもこっちは那覇の方だったので、国際通りを初め結構都市部に近くて、そのおかげで観光もできたし、道が多いから散歩も捗るし、食事するところもその辺歩いてればたくさんあるみたいな、まあそんな感じで、5日間というちょうどいい日程も相まってこっちは結構、というかかなり楽しめましたね、実際。

 

 初日と最終日はいわゆる前泊後泊というやつで、研究会の日程は2〜4日目しかなかったので、1日目と5日目を主に観光に充てたわけですけど、まあそれなりに色々見て回れましたね。めんどくさいんで写真は共有しませんけど。

 

 食事の方はどうかというと、国際通りの方はステーキのお店がめちゃくちゃ多いんですよね。これはどうしてかというと、往年はアメリカの管轄下にあったため関税の関係で肉を安く仕入れられたからとのこと。って、同期が言ってました。ファクトチェックはしてないので実際どうかは知りません。

 

 有名どころだと、「88ステーキ」っていう、多分沖縄にしか店舗ないのかな?ローカルステーキ店があって、まあ言ってしまえば「さわやか」のステーキ版みたいな感じですねこれは。あとは「やっぱりステーキ」っていう、いきなりステーキと関係あるんだかないんだか知りませんけど、ステーキとかハンバーグが食べられるお店があって、これも沖縄発祥ですね。やぱステの方は内地にも展開していて、東京だと蒲田とか吉祥寺に店舗があります。安いし美味しいしご飯お替わり無料なので興味ある方は行ってみるとよいと思います。

 

 まあそういう感じですね。上の2つのお店には出張中にどちらも寄って、あとは「ソーキそば」とかも有名ですよね、沖縄は。まあこれは1回目の出張でも何回か食べたんですけど。ソーキそばっていうのは何かというと、まあ本質的にはソーキが入ったそばっていう、ただそれだけですね。ソーキってのは何かというと、これは骨付きの豚のあばら肉、まあ言ってしまえばスペアリブですね。つまりソーキそばというのは、言ってしまえばスペアリブの入ったそばくらいの意味しかないわけで、味付けとかのディティールは調理する人の匙加減によって変わります。多分沖縄本場の味付けだと、若干甘い風味になるんだと思います。

 

 ただ沖縄だとそば麺の製法が若干違って、実際のものを見せると

 

 

 

 こんな感じです。見た目で言うとうどんに近いですが、製法で言うとラーメンに近いのかな?これは琉球王国が長いこと中国と関係を持っていたことに起因している・・・んだと思います。

 

 ちなみにこの写真は3月13日に行ったお店で撮ったものですが、このお店なんとその13日にオープンしたお店で、奇しくも僕らは初日の客ということになりました。厨房にいたおばちゃんに美味しかったと感想を伝えたところ、なんかたいそう喜んでくれまして、まあ実際美味しかったからそう言ったんですけど。頑張ってほしいですね。

 

 まあそんな感じですね、2回目の沖縄出張は。え、研究会の話は?って思った方もいるかもしれませんが、、、いや、いないか。別にいいよね?研究会でどういう内容をやったかとか、別に知りたい人いないよね?

 

 ああそうだ、あとめっちゃ散歩してました。どれくらい散歩してたかというと、3月12~16日の5日間、スマホ歩数計で毎日3万歩超えるくらいには歩いてましたね。一人でボーっと歩くのが好きなのもあるし、あとは隣の研究室の同期、この研究会には隣の研究室の人たちも何人か来てたんですが、そのうちの1人にも散歩好きな人がいて、結構その人と頻繁に散歩してましたね。

 

 散歩しているうちに色々発見もあったんですが、めんどくさいんでここで書き並べるのは控えておきます。こんなところに分量割いてたらキリがないからね。その代わりと言っては何ですが、那覇のとある公園で10分近くに渡って野良猫を追いかけ続けた時に撮った動画を貼っておきますのでどうぞ。

 

youtu.be

 

 沖縄って、ホントに野良猫が多いんですよね。これはなんか沖縄の固有種とかそういうのではなく、シンプルに多いんですよね。普通にその辺歩いてたら野良猫いるし、公園とか自然の多い場所に行くとホントに至るところにいるんですよ。猫好きな方は是非行ってみると面白いかと思います。

 

 ちなみにこの動画で「今だ!モンスターボールを!」みたいなことを言ってるのが例の同期ですね。彼は実は僕と同じ地域に住んでいて、ていうか同じ地域どころか、歩いて5分で行けるくらいの距離間なんですけど、まあそんなわけで大学でも地元でも、時折一緒にご飯行ったり散歩に行ったりするんですけど。というのは、彼も僕と同じで結構アレコレどうでもいいことを考えちゃうタイプの人間なので、結構話が合うんですよね。

 

 それでどんな話をするかというと、まあもちろん僕らは物理学科なので物理の話とかももちろんするし、あとは大学とか研究室の先生の悪口とか、政治とか宗教の話もするし、あとは人生の話とかもしますねよく。人生の話っていうのは、まあ就職の話とか結婚の話とか、まあこの年になるとそういう話が多いがちになりますよねそりゃ。

 

 例えば結婚の話だったら、結婚したいかどうかみたいな話題はもちろんあるし、共働きと片働きではどちらが離婚しやすいか?とか、あとは子供を産みたいかとか、まあそういう感じですかね。まあでもなんか、こんな話題を、結婚のけの字もないような独身成人男性2人が話しているのかと思うとちょっと戦慄しますけどね・・・。

 

 まあこんな感じでいいかな、出張の話は。あんまり色々思い出を語りすぎても、コイツなんか普通に旅行楽しんでね?みたいな雰囲気になるし。この辺りで控えておこうと思います。

 

 

 それで出張が終わって、帰ってきてすぐ次の日の午前中に、上でも言った学会発表の練習会がありました。まだ出そろってない結果もいくつかあって、スライドも完全な仕上がりではなかったんですが、でも隣の研究室の先生から「分かりやすくまとまってるね」とお褒めの言葉を頂きました。それからいくつか修正すべき点と改善案をもらって、昼過ぎに練習会は終わりました。

 

 学会期間は22~25日で、僕の発表は24日の午後だったので、発表まで残された時間は大体1週間ほどでした。とはいえスライドももう大分出来上がっていたので、このまま何事もなければ、発表に関しては全く問題ないはずでした。はずだったんですが・・・。

 

 18日、つまり帰ってきて次の日に、とんでもないことが起こります。それが最初の方で言った、計算誤差だと思ったらコードのミスだったという事件ですね。18日に「あれ、ここミスってね?」ってなって、その日のうちに修正を終えて、寝る前に計算ジョブをスパコンに投げました。それで19日の朝起きて結果を確認したら、今までずっと付きまとってた計算誤差がウソのようになくなって、それで僕は、

 

 

 

アアアアアァァァァア!!!!!アアアアアァアァァァ!!!!!!!

 

 

 

ってなりました、ホントに。ちなみにこれ家の中の話です。自室で暴れ回りながら叫んでいたらそれが階下まで響いてたようで、母親が上がって来て「大丈夫?」と声をかけてきたのですが、僕が「うるさい!話しかけるなオレに!!!」と言ったらスゴスゴと退散していきました。オレを甘く見るなよ。

 

 まあそんな感じで、この数か月の努力が無駄だったことを知って、かつてないほどに発狂したわけですが、その一方で、僕の頭の中のどこかの回路は、冷静にこれからすべきことを考えてそれを整理していました。

 

 まず、19日の時点で、発表まではおよそ5日間です。今やってる計算はスパコンを使っても最長で丸3日間ほどかかるので、修正後のコードで計算をやり直してスライドに反映させるまでは秒読みと言っていいでしょう。あとは論文の当該の部分も修正して、考察の部分はまるっと書き直さなきゃいけない。物理的な解釈が全然変わっちゃうから、それに合わせて取らなきゃいけないデータも変わってくる。マブにはそれらを全部含めた上で、論文のどこを修正する必要があって、どこがそのままでいいのかを、火急的にまとめて説明しなきゃいけない。ただ言うまでもなく、一番優先すべきは5日後に控えた学会発表に向けた修正なわけです。そういうことを、僕は極めて冷静に考えていました。そして発狂したのもつかの間、僕は今しがた考えたやるべきことのリストを、やるべき順に取り掛かっていきました。

 

 この時の僕の感情を言うと、実際一番大きかったのは、「論文を投稿する前に見つかってよかった」という安堵でした。そして、誤差の調査にかけたこの数か月は何だったんだ・・・という虚無感、そして単純に誤差が修正できたことへの喜び、でもそれ以上に、「どうしてこんな簡単なミスに気づけなかったんだ」という無力感がありました。まあつまり、ぐちゃぐちゃってことです。実際ホントに僕の内心はグチャグチャでした。

 

 でもこれは僕の特質と言うべきか才能というべきか、いや、もしかしたらこれは誰もが備えているものなのかもしれないですけど、僕はどんなに心がメチャクチャに折れてても、憂鬱な気持ちに飲まれていても、目の前に迫ったタスクに関しては冷静でいられるんです。だから僕は筆記試験でも研究の発表でも、どんなに緊張しててもそれでミスをしたことはないし、この時も僕は正しく的確に、その時すべきことを正しい順番で実行することができました。

 

 まあとはいえ、学会発表とは思ってもなかった方向に状況が変わって、「発表に関しては全く問題ない」なんて余裕をぶっこけるような事態ではなくなってしまったわけで、発表のある24日まではずっと忙しく振り回される日々が続きました。

 

 スライドの内容に関してもマブと相談を重ねて、何度も修正案をもらい、結局発表本番の数時間前までやり取りを続けていました。それが終わってから、僕は発表の練習を一人でして、実際どのくらいの時間間隔でしゃべればいいかとかを把握して。それでまあ一通り大丈夫だろうと思った時にはもう発表30分前を切っていて、結局僕は昼ご飯を食べずに発表に臨みました。

 

 発表はどうだったのかというと・・・まあ普通ですね。途中でスライドの画面が固まっちゃったり急に電話かかってきたりして時間をロスしてしまって、その分練習よりも早くしゃべらなきゃいけなくなったんですが、僕は元来早口オタクなので難なく対応できた・・・っていうか、何ならもっと”””加速”””できるなくらいの感じでした。質疑応答も、短い質問でしたけど5人ほどの方から質問をいただけて、まあ内容はともかくその心は理解していただけたのかなと思ってます。実際どうかは知りませんけど。

 

 それで25日まで学会があって、興味ある発表を聞いたりして、まあそんな感じでしたね。26日以降はちょっと色々遊びに行ってたりして、実効的には研究をやっていたわけではないんですけど、ただ何というのかな、研究ってのは、実際に作業してない時も常に頭の中にあるもんなんですよね、実際。つまり僕は人と遊んでいる時も、どこかに出かけている時も、研究のことが脳のどこか片隅に眠っていて、ふとした瞬間にそのことを思い出したり、疑問点とかアイデアとかを、アイデアと言ってもそんな大したもんじゃないですけど、思いついたりして、そしてそれを次に手を動かすときに実行していくという、研究ってそんなもんなんですよね。いや、もちろんそうじゃない場合もあるとは思いますけど、でも大体においてそんなもんだと思います。だからまあ言ってしまえば、実際に手を動かしていないときも、ある意味においては、研究をやっている、研究について考えていると言えると思います。もちろん脳のリソースをフルに割いているわけではないし、実際に研究が進んでいるわけではないから、もちろんそういう意味では、何もやっていないということになりますけど。

 

 以前はそれが、つまり常に研究が頭の中に付きまとっていることが、すごく辛くて息苦しいと思っていた時期もありますけど、今はそうでもないですね。それは、研究がある程度軌道に乗ってきたというのも、理由としては大きい思います。軌道に乗ると言うと大袈裟ですけど、つまり、0を1にする一番大変な時間が終わって、1を2にして、100を101にして、っていう、そういうフェーズに移行してきたみたいな、そんな感じです。やるべきことはまだまだたくさんあるし、そしてやればやっただけ、ほんの少しずつでも進捗が生まれるみたいな?だからまあ、大変っちゃ大変ですけど、ある意味では楽しいですよ、実際、今は。大変の方が勝ちますけどね、往々にして。でもまあ楽しい気持ちもゼロではないってことです。まあまた行き詰ったりしたらまた一時期の鬱モードに戻っていくことは想像に難くないんですけど。

 

 

 まあそんな感じですね、研究の話は。まあ実際あんま研究の話してないですけど。まあでも僕がこの数か月結構忙しかったということは分かってもらえたかと思います。

 

 ただ忙しかったと言えば忙しかったんですけど、とはいえこの3か月間何も娯楽がなかったかと言えばもちろんそんなわけもなくて、いや、どっちかというと結構色々娯楽に費やした方ですね、この数か月間は。なんか忙しかった発言とは矛盾してるような気もするけど。まあそれも含めて忙しかったみたいな?いや、うーん、分かりません、うまく言えないです。

 

 まあそんなことはどうでもよくて、じゃあその娯楽って何かというと、まあ一番は旅行ですね。この数か月は出張以外にも結構、ていうか頻度で言ったら過去一番くらいには旅行に行ったんじゃないかなと思います。

 

 まずは1月の終わり位に、ぬるっとゲーミングの人たち、つまり僕とガラパゴス、てめるん、アイスくんの4人で松本まで旅行にいきました。なんで松本かというと、この時ちょうど、氷凋のお祭りみたいなのが松本城で開催されていて、それを見に行ったからですね。松本城、僕はこれが見るのは恐らく初めてだったんですが、写真とかで見るより実物の方がずっと黒くてビックリしましたね。僕が行ったのは冬だったので木々は葉を散らしていて、寧ろそれが威厳あるような雰囲気を感じたんですが、桜の咲く春とか新緑の時期に行ってもまた違った良さがあると思います、知らんけど。

 

 

 あとは2月の初めに知り合いと北海道に行きましたね。この時焼きそば弁当という北海道名物(?)のカップ麺と、ほたてスープというAIRDOという航空会社が売り出しているスープの素を買ってきて、研究室で大いに活用してました。

 

 

 3月の下旬には家族で伊豆の方まで旅行に行って、まあ適当にその辺を観光して帰るだけでしたけど、まあホテルで温泉つかってのんびり休めたので良かったかなと思います。

 

 

 3月末には先ほど言った、出張でルームメイトだった人たち3人で浜松まで行きました。この旅行は元々3月の初めくらいに決まったもので、日程と、どこに行くかだけその時に決めたんですが、それ以降誰も計画を立てたがらずそれを誰も問題視せず、結局他には何も決まらないまま決行されることになりました。唯一確定していたのは浜松でウナギを食べるということだけで、それ以外の旅程は何も決まってないし、泊まる場所も確保してないし、青春18きっぷで移動するつもりだから3×2で6回分必要で、1枚新札を買うのと他に1回分をどこかで調達しなきゃいけなかったんですが、その手段も誰も何も考えてないという有様でした。

 

 それで、浜松に向かう途中で、僕が「18きっぷで浜松より先に行ったことがない」という話をしたら、「あー、じゃあ行く?」みたいになって、急遽浜松を通り越して名古屋まで行くことになり、いくらか観光をして浜松にとんぼ返りして、浜松駅のすぐそばにある快活クラブで夜を過ごすことになりました。まあ結局のところ、ウナギを食べるという第一目標は達成されたのでよかったです。美味しかったし。ちなみにウナギの写真は、是非twitterをご覧ください。

 

 あとは同行者の一人に鉄道オタクの人がいて、地理にも結構通じていたので、乗り換えとか、どの車両にボックス席があるだとか、色々教えてくれて、観光する時もナビゲートしてくれて、まあ結構助かったというか、スムーズに行き場所を決められましたね。実際こういう時、1人でもそういう詳しい人がいると便利でいいですよね、便利とか言ってますけど。

 

 

 まあそんな感じですね、旅行の話は。

 

 あとは娯楽と言えるのかどうかは分かりませんけど、資格の勉強はちょくちょくやってますね。前回のブログで書いたように応用情報も受かったし、1月にはFP(ファイナンシャルプランナー)という、保険とか税金のこととかをやる人向けの資格の3級を受けまして、これも無事合格しました。3級に受かったことで2級を受けられるようになったので、次の5月末の試験を申し込んで、今はそれに向けて勉強してます。

 

 なんでそんな資格ばっか受けてるのかというと、まあ理由はいくつかあるんですが、一つはいずれ民間企業に行くことがあった時に、こういう世俗的な?ちょっと言い方が悪いか?こういう実利に根差したような資格を持っておくとまあ多少は印象がいいんじゃないかみたいな、まあそんな感じですね。

 

 もう1つは、世の中の仕組みを勉強するためですね、ざっくり言えば。まあ応用情報に関しては、僕は研究で計算機を使っているので結構直接関係するところもあるんですが、FPなんかはまさにそれが理由ですね。

 

 要するに、ふつう世の中の人間というのは、まあ18か22とかそのあたりで社会に出て、それで社会の歯車の一員として暮らしていく中で、遅かれ早かれ、社会の仕組みというか、システムみたいなものを勉強していくわけじゃないですか。

 

 でも皆さんご存じの通り、僕はいつ一般社会に出ていけるのかもわからないような人間なわけで、それで例えば27とか、あるいはもっと遅い時期になって社会に出て、その時に、同じ年代の既に社会に出ている人たちが当然共有している、つまり一般常識みたいなものに対して、全く知識がない、知らないというんじゃその、普通にマズイじゃないですか。

 

 だからです。つまり、いつか社会に出ることになった時に、可能な限りシームレスに社会に適応できるように、そして何か大きな、取り返しのつかない過ちを犯したりすることのないように、そのためのお勉強ですね、これは、言ってしまえば。

 

 まあでもそういうおカタい目的はともかくとして、楽しいですよ、こういうお金の勉強ってのは。皆こんな複雑なこと考えて生活してるんだな~ってなるし。こういうのを使えば税金対策になるんだな~とか効率よく貯蓄できるんだな~とか、保険会社はこうやって弱者から金を搾り取ってるんだな~とか、まあそういう色々な気づきがあって、まあそれなりに楽しいです。少なくとも、社会の仕組みを知るために仕方なくやっているという感覚はないくらいには楽しいですね。

 

 それに資格の勉強って、インプットしたことが即座にアウトプットに使えるし、それに勉強した証明が資格という形で残るので、なんかその、いいですよね。基本的にロングランで、その努力が(努力の量に対して)あまり形に残らない研究と比べると、すごくシンプルだし、短期的で、でもちゃんと達成感を得られるというか。分かります?僕の言ってること?

 

 

 まあそんな感じですね、旅行と、資格の勉強。

 

 でも何でもかんでも娯楽に手を出してたわけじゃなくて、諦めた、正確に言えば諦めざるを得なかったものもあります。

 

 一番はマリオ64です。実は僕、今年に入ってすぐくらいからマリオ64RTAをやろうと思って少しずつ練習を始めて、atmpasさんという方に手取り足取り教えてもらいつつ、まあ練習を頑張ってたわけですね。

 

 

 

 こんな感じでね。

 

 それで、その練習をしていた最中に、120枚リレー、所謂ガチリレーですね、それが開催されるという話を聞いて。それで結構興味を持ったんですね、面白そうじゃんみたいな。それで、ぬるっとゲーミングサーバーの人たちで一緒に出ようかみたいな、やっちゃう?みたいな、そういう話をしたんです。

 

 もちろんこれは大会のレベルを考えれば言うまでもなく無謀なことで、相当練習して相当頑張って記録を伸ばして、そこまでやってようやく本選出場に指先が触れるかどうかくらいの、まあその程度のものだったわけですけど、でも別に勝敗みたいなものは元々主な目的ではなくて、ある1つのゴールに向かって全力で努力をするみたいな、皆でゴールを共有してその達成に向けて皆で頑張るみたいな、なんかそういう、何て言うんですか?青春?みたいな?なんかそういうのをやりたかったんですよね、僕は。そういう”””熱い”””思いを味わいたくて、そういう話をしたんですけど。

 

 でも結局、出場はナシになりました。理由は2つで、まあどちらも僕に起因するものなんですけど、まず1つに、万が一奇跡が起こって本選に残れたとして、その本選は3月12日、つまり出張当日になってしまうんですね。だからまあ、完全に不可能というわけではないとは思いますけど、実際キツイと。そしてもう1つは、シンプルに研究と出張で練習の時間を十分に確保できないことです。というのは、ぬるゲの人たちは何だかんだ皆それなりにマリオやってる人たちで、スキマ時間に少しずつ練習すればそこまでの困難はなくある程度のレベルまでは到達できるわけなんですね。なので一番ハードに練習しなきゃいけないのは僕のはずで、にも関わらずその僕が忙しくて練習ができないと。

 

 もちろん上で言ったように、大会で結果を残そうなんてことは、まあ全く興味ないと言ったらウソになりますけど、別に第一目標ではないんですよ。でもやっぱり大会というのは勝利、あるいは最大限の成果を目指すから面白いし、練習にも熱が入るわけであって、最初からそういうのを度外視してしまうのは、まあ少なくとも僕の中では違うわけですね。

 

 つまり何が言いたいかというと、僕が練習できずにダメダメな状態で大会に出ても、ただ皆に練習と記録狙いの負担を負わせるだけで、それじゃ意味がないと思ったんです。それが理由です。

 

 まあそんなわけで、大会に出ることは諦めました。ていうか大会だけじゃなく、今はRTAの練習も一旦おやすみしてます。最近は研究も忙しいとはいえ出張とかのデカい用事は終わって、時間もまあ少しずつは(少なくともこんなブログを書けるくらいには)取れるようになってはいるんですけど、やっぱりRTAをやるからにはある程度本気でやりたいんで僕は。中途半端にやって、中途半端な記録を出して終わるのはあまり僕の本意とするところではないので。だから今は一旦、一旦おやすみしてます。

 

 いつまでかというと・・・うーん、今抱えているタスクは、大体5月の中旬くらいには終わると思います。なので他に仕事が増えなければ、その辺りからまた再開できるとは思ってるんですが・・・研究って結構なんかいきなり忙しくなったりするし、出張とかも1か月前とかに急にお達しが来たりするので、実際のところはあんまりはっきりしてないです。やりたいんだけどね、めちゃくちゃ。これはリップサービスじゃなくて本当なんですけど、でもやっぱりやるならちゃんとやりたいし、それに64に関しては基本的に人から教わって練習してたので、なんか、教わっておいてそれを中途半端にしか体現できなかったら、その人にも申し訳ないじゃないですか?なんかそういうことを考えちゃうんですよね、僕って。

 

 

 まあそんな感じです。旅行と、資格と、マリオの話。

 

 あとはプライベートの話で言うと、スイゾともよく会ってましたね。あ、スイゾっていうのは、たびたびこのブログで話題に上がる、例のサークルの女の子のことなんですけど。いつからかネットの知り合いたちからそう呼ばれるようになって、僕も気に入って使ってます。もちろん本人のことをそう呼んでるわけではないんですけど。スイゾってのは、まあ要するに水族館から来てるわけですけど、誰がいつこの呼び名を言い出したのかはもう今となっては定かではないんですが、まあとはいえ、いつまでも「サークルの女の子」「水族館の子」とか呼んでたんじゃ収まりが悪い、っていうか長いですからね、シンプルに。

 

 それに、研究室の先生を”マブ”と呼ぶのもそうですけど、誰かのことを指す時に、その人の肩書きとか属性で言うよりも、何か名前をつけてあげた方が、読者にとっても覚えやすいだろうし、なんかキャラクター性が出ますよね若干。まあ別に狙ってそうしてるわけではないんですけど。

 

 まあそんな感じで、年を越してからはスイゾとよく会ってますね。よくっていうのは、大体月1くらい?ちょっとあんまり覚えてないんですけど。なんか最近記憶力がホントに悪いんですよね。なんかもう、ホントに悪いんです。チッ、ホントに悪いんですよ。以前あった出来事とか、行った場所とか、全くと言っていいほど覚えられないんです。いや、覚えられないというよりも、正確に言うと、「何かがあった」という感覚はあるんですけど、その正体が分からないみたいな感じなんです。輪郭だけ見えているんだけれども、霧がかかっていてそれが何なのか分からないみたいな、だからそれを「記憶」として認識できないみたいな、そんな感覚です。

 

 つまり、人間ってのは、過去の記憶を反芻することで、つまり折に触れて思い返すことで、それを定着させていきますよね?つまり、教科書を復習したりするのもそうだし、体験したことを人に語るのもそうだし、そういったことです。

 

 でも今の僕の場合、脳内のリソースのほとんどは、研究とか出張とか論文とか資格の勉強とか、そういう差し迫った目の前のタスクを処理するのに精いっぱいで、記憶を反芻して定着させる余裕がないんです。あるいは僕の脳は、どこか遠くの、ぼんやりした未来のことを考えているんです。つまり人生のこと、就職とか結婚とか数年先の生活のこととかそういう、どうでもいいとまではいかないけれども、でも今考えてもどうしようもないような、そんなことを考えているんです。これは考えようと思ってそうしているわけではなくて、ひとりでに考えてしまうんです。そのせいで、僕の体験したこと、見聞きしたことは、机の引き出しに物を乱暴に放り込んでいくがごとく、雑然と、まとまりがなく混然一体となっていて、適切なタイミングで適切な記憶を取り出すということができなくなってしまっているんです。

 

 ホントにこれはマズイ事態だと思ってるんですよ、最近。でも僕にはどうしたらいいのかよく分からないんです。いずれはどうにかしなきゃいけない問題だとは思ってるんですけど。でもそういう問題について考えること自体も、脳内のリソースを圧迫する要因の一つになっているわけで、結局負のスパイラルになってしまってるんですよね、言ってしまえば。

 

 まあそんなことは、今はどうでもいいんですけど、少なくとも今は。今はスイゾの話をしてるわけですから。それでスイゾの話に戻ると、具体的にどれくらい会っていたのかというと、多分毎回twitterに記録しているのでそれを挙げていくと、

 

 

 

 こんなもんですかね。月1じゃなくて月2くらいかな?実際には。まあ別に1でも2でもどうでもいいんですけど、正直。

 

 行く場所は毎回適当に決めてます。僕が提案する時もあるし、スイゾの方から言ってくることもあるし、あるいは日付だけ決まってて、結局行く場所が全然思いつかなくて直前に適当に決めることもあります。どれがどれだったのかは、もう今となっては覚えてないんですけど。

 

 まあそんなことはどうでもいいんですよ、僕がスイゾとどこに行こうと、そしてそれがどちらの提案だろうと。そんなことはどうでもいいんです。

 

 

 僕が言いたいのは、つまり、僕ってのはホントにダメなやつなんだってことです。そしてそのことを、僕はスイゾと行動を共にするたびに思い知らされるし、そして先だっての事件があってからというもの、僕のその思いはますます強まって、今や呪いのように僕に付きまとうようになってしまったんです。

 

 その事件というのは何かというと、まあこれは2月の初めくらいにあった出来事なんですが、まあつまり、要するに何があったかというと、その日スイゾからある贈り物をもらったわけです。贈り物っていうのは何かというと、まあ言ってしまえばチョコレートですね、これは。で、時期がまあ今言ったように2月の初めと。つまりどういうことかというと、推論するに、これはバレンタインチョコということになるわけですね、言ってしまえば。推論というか、向こうがそう言って渡してきたっていう、だから推論じゃなくて事実なんですけどこれは。

 

 まあそういうことです、つまり事件というのは。これが事件の全貌です。え、それだけ?と思った方も、中にはおられるかもしれません。いや、、、、

 

 

 

 

 

 

黙れ!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 まあそれだけですよ、言ってしまえば。あなたたちにとっては、””それだけ””かもしれませんね、そりゃ、あなたたちにとっては。でも僕にとってこれは事件なんです。分かります?僕の言ってること?

 

 まずもって、僕は家族以外の異性からバレンタインチョコなんて大層なもんはもらったことが人生で一度もありません。というかこのブログで度々述べているように、僕はそもそも女性と人間関係を築いたことがほとんどないどころか、女性が一定以上の割合で存在する空間に身を置いたことが全くと言っていいほどありません。

 

 家族からという話をすると、まあ姉からは大体もらってますけど、でもなんかそれは貰うというよりかは、「来月倍にして返せ」という脅迫と共に””渡される””といった感じで、なんか、違うんですよね、本質的に。贈り物というか、なんか実質負債みたいな感じなんですよ、実際。

 

 というか、振り返ってみれば、僕は赤の他人からこういう厚意を、それも贈り物とかそういう、純粋で物質的な厚意に与ったことが、一度もないんですよね、恐らく。恐らくというのはある種保険みたいなもので、もしかしたら忘れてるだけで人生のどこかでそういう出来事があった””かもしれない””というレベルの話で、まあ十中八九ないと思います。

 

 でも別に僕はそれに対して何もネガティブな思いは抱いてないし、寧ろそうであるべきだとさえ思ってるんです、実のところ。だって僕は何か特別なもの、つまり才能とかカリスマを持っているわけではないし、人とのコミュニケーションが絶望的にヘタクソだし、要するに、他人から何かを与えられるほど、僕の方から他人に与えられるようなものは何もないと、自分でそう分かりきっているわけですね、言ってしまえば。

 

 それを分かりきってるから、僕も別に誰からも何も与えられなくても何も不思議なことじゃないと思うし、寧ろそうでなきゃおかしいとさえ思うんです。僕みたいな人間っていうのは本来、多方面からボコボコにされて、ボロ雑巾みたいに扱われて当然みたいな人間なんです、極端な話をすれば。いや、ちょっとこれは言い過ぎたかもしれませんけど。まあでもとにかくそういうことです。僕ってのは元来、人から何かを与えられるほどの価値もない人間なんです。

 

 だから僕はこのスイゾからの予期せぬ贈り物に対して、何というか、一口に言えば、すごく困ってしまったんです。どうして僕なんかにこんなものをくれるのだろう?って、僕はそんな、誰かから物を貰うほど価値がある人間じゃないのにどうしてだろう?って、そう思ったんです。これは本気でそう思ったんです。本当に僕は分からなかったし、本当に僕は困ってしまったんです。

 

 それで僕は、

 

 

 

 壊れました。ちょっと裏のツイートはあんまり見せたくなかったんですけど、でもこっちの方が臨場感は伝わると思うので。実際ホントに混乱してました、この時は。この時どういうことを考えてたかは・・・あんまり覚えてません。というか、何も具体的なことは考えていなかったと思います。

 

 ただ、どういった形でお返しするべきなのか?ということは考えてました。考えてたというか、この後しばらくはずっとそのことで悩まされていました。ずっとっていうのは、この時から3月の初めくらいまでずっとです。1回目の沖縄出張中もずっとです。ずっと僕はそのことで悩んでいたんです。

 

 ていうかそもそも、お返しって何だって話になるわけですよ、考えてみれば。つまり価値の交換という観点から見れば、これは元々不平等な話なんです。だって、スイゾの方では、僕みたいなゴミみたいなキモい陰キャオタクと真っ当に会話をしてくれて、行動を共にしてくれて、一緒にどっか出かけたりしてくれて、まあ日頃から彼女の方は僕に、金銭的ではないにしろ、何かしらの価値を提供してくれているわけじゃないですか、それに対して、僕の方では、先にも言ったように何も彼女に与えられるものはないわけです。

 

 要するに、もし僕が、バレンタインチョコという受け取った価値に対してその返礼をしなければいけないと言うのなら、それは即ち、今までスイゾから受けた全ての価値、つまり恩に対してお返しをしなきゃいけないことになりますよね?当然。だってそうじゃなきゃすごくその、欺瞞的じゃないですかつまり、受けた物質的な恩に対して”のみ”返事をするというのは?

 

 そうなると、じゃあそういう普段の恩に対してもまとめてお返しをすればいいじゃないかという話になるわけですが、これもまた難しい話になるわけですね。つまり、そういった価値というのは定量的に評価できないわけで、じゃあ何回出かけてくれたから合計何円のものを渡せばいいとか、そういう話でもないわけじゃないですか、実際。寧ろそうでないからこそ価値と呼べるみたいなところあるじゃないですか?実際。いや、分かりませんけど。

 

 つまり、もうムリなんです。どうしようもないんです、僕には。もうムリ~って感じです。僕には何も理解ができないし、何も説明がつかないし、どういう対応が正解なのかも全く思い浮かばないんです。だから僕は呆然と途方に暮れちゃって、でもどういう形であれ、少なくとも物質的に受けた恩についてはお返しをしなきゃいけないと思って、でもそれが何であるべきかはやっぱり分からなくて、それでずっと思い悩んで、苦しんでいたんです。必死に論文を書き進めている時も、沖縄出張で鬱りまくってる時も、ずっとです。

 

 

 なんか・・・なんか、分かります?僕の言ってること?分かります?僕の気持ちが?いや、分からんだろう、分からんだろうな、アンタたちには。きっと分からないだろう。だってアンタたちって何だかんだ普通だし。何だかんだ言って普通に人間関係構築できてるし、何だかんだ言って普通に社会に適応して生活できてるし。

 

 僕はできないんです。あなたたちが当たり前にできる、やっているようなことが、僕にはできないんです。あなたたちが当たり前に知っていることも僕は知らないし、人生を過ごしていく中で当たり前に身に付けられることも、僕は身に付けられないんです。

 

 

 つまり僕が言いたいのは、全くもって無意味だと言うことなんです。何がって、つまり何もかもがです。どれだけ本を読んで知識をつけても、僕は人から受けた恩の返し方も知らないし、どれだけ複雑な物理を研究しても、僕は人の心を理解できないし、どれだけ社会の仕組みを勉強して資格を取ったところで、僕はその仕組みに適応する術を何一つ持たないんです。つまりはそういうことなんです。だから意味ないって言ってんですよ、何もかも。僕がやってきたこと、やっていること全部。でも実を言うと、そんなこと、もうとっくのとうに分かりきってるんです。いや正確には、分かりきっているはずなんです。でもそれが分かったところで、どうしようもないじゃないですか。だって僕は今しがた言ったように、皆さんが当たり前のように知っていることを何一つ知らないんですから。いいですか、何一つ知らないんですよ。だから、僕のちっぽけな脳は、知識という色眼鏡を通してしか世界を見ることができないんです。借り物の智恵、借り物の思想、借り物の言葉、全部ニセモノです。そういった知識というのは全部、例えるならコンピュータにデバイスを取り付けるみたいに、僕の思考回路に外部的に、アドホックに付け足されていくばかりで、肝心要の本体は、どこかずっと昔に成長が止まったまま、小さく縮こまって動けなくなっている。いや寧ろ、そうやって知識をつければつけるほど、それにがんじがらめにされて、ますます鈍重になっている気さえするんです。今こうして僕がベラベラ、よく分からん考えをしゃべってるのだって、これがホントに僕の本心から出た言葉なのか、それとも外側に取り付けた知識から出てきたニセモノの言葉なのか、それすらもわかりゃしないんです。

 

 

 そんなわけで僕は、ずっと思い悩んでいたんです。「いや、お前単に女との接し方がわからないだけだろ」と、そんなことを思った方もいるかもしれません。まあ実際そうなんですけど。そうなんですけど・・・?

 

 

 

 

 いや、違うわーーーっ!!!お前に何がわかんねん!!!黙ってろ!!!!

 

 

 というのは冗談ですけど。まあでも実際、「それだけ」という風に言われてしまったら、返す言葉はないですよ。全くもってその通りだと思います。でも僕が言いたいのは、その「それだけ」が僕にはできないってことなんですよね、意味わかる?だから「それだけ」と言われたことに対する僕の答えは、「そうです、あなたにとって『は』それだけですね」と、それに尽きるわけです。別にそれを批判するつもりもないし、ていうか寧ろそれが一般的なわけですよね。あなたたちは普通の人間で、僕は普通じゃない、ただそれだけの話ってことです。

 

 まあでも、これは僕の名誉というか沽券のために一応言っておくと、一応お返しするにはしました。姉からの倍返しの教え、もとい脅迫に則り、まあ倍とまではいかなかったと思うんですけど、まあそれなりの価値のものを渡しました、スイゾに。価値ってのはつまり、飽くまで金銭的な価値ってことですけど。

 

 あとはまあ、これまで述べたように最近出張やら旅行で遠出をすることが多くて、しかもその直後に都合よくスイゾとの予定が入ってることが多いので、お土産とか結構あげてますね、最近は。まあこれはお返しというよりかは、適当にお土産を買い込んで、家族とか研究室の人に渡して、その余ったものをあげてるという、ただそれだけなんですけど。でもまあ友達料くらいにはなるんじゃないか?いや、分かりませんけど。

 

 

 

 まあそんな感じですね。旅行と、資格と、マリオと、スイゾの話。

 

 なんか・・・なんか、何でしょうね。何なんでしょうねこれは。そして何なんでしょうか、僕は。これから僕はどこへ向かっていくんでしょうか。

 

 なんか最近ホントに、うーん、なんか苦しいです。いや、苦しいと言うとそれは違うんですけど。でもなんか、何かが違うんですよね。苦しいというか、よく分からないんです。何かが違っていて、何かがおかしいんです。

 

 何だろうな、上手く説明できないんですけど。でも何と言うか、なんか時々、今の自分が置かれている状況を考えた時に、僕って別にそんなに、つまり自分が思っているほど、不遇な状況に見舞われているわけではないなって、そんなことを思う時があるんですよね。

 

 つまり研究に関しても、色々紆余曲折あったとはいえ少しずつ前進して、論文もまあ先は長いけどちゃんと執筆できる段階まで行ってるし、出張に関しても、すげー大変だったし辛かったけど、仲良くできる友達との出会いもあったし、資格もまあスローペースとはいえ取りたかったものをちゃんと取れているし、スイゾみたいな、まあつまり、定期的に一緒にお出かけしてくれるような友達もいて、なんかそういうことを考えると、客観的に見て僕って、なんか案外幸福な立場に置かれているんじゃないかみたいな、””充実””してんじゃないかみたいな、そんなことを思う時があるんですよね、時々。

 

 でも一番問題なのは、にもかかわらず僕自身は今をあまり幸福には思ってなくて、寧ろ不幸とさえ感じているってことなんです。だから、つまり、何かがおかしいんです、僕の人生。どこかのネジが外れているか、歯車が欠けているかして、うまく動いていないんです。そして問題なのは、僕はその歯車がどういう形のものなのかも知らなければ、一体何個欠けているのかも分からないということです。思い返してみれば、僕の認知が歪み得るタイミングは、僕の人生においていくらでもあったんです。幼稚園児の時からゲームと算数が好きで、外で運動せず家の中で引きこもって遊ぶ日々、友達との交流を断って中学受験の勉強に勤しみ、中学高校では男しかいない場所で6年間を過ごし、モチベーションを一切保てないまま大学受験をして中途半端に成功体験を得て、大学では授業も出ずに同じゲームをどれだけ早くクリアできるかを競う意味不明な遊びに時間を浪費し、にもかかわらずいっちょ前に大学院に進学して、しかもまだまだ研究を続けるつもりでいる。1つ1つの項目で見ればそれほど特異なことではないかもしれないけれど、でも少なくとも一般的ではないわけで、つまり僕が言いたいのは、常にその一般的ではない環境で人生を進み続けていったその過程で、一般的な認識、一般的な価値観、一般的な能力、そういったものを、そのどこかに置き忘れてしまったかもしれないってことです。それは1つかもしれないし2つかもしれない、あるいは複数の重なり合った要因でそうなってしまったのかもしれない、あるいはこれはひとえに僕の生まれ持った性質の問題で、僕がどういう人生を歩んだかとか、どういう環境に身を置いたかなんてことは全く関係ないのかもしれない。ただ唯一ハッキリしているのは、それが分かったとて、元に戻ろうとするにはもう遅すぎるってことです。僕の認知はもう完全に歪み切っていて、もはや戻そうと思ってどうにかなる段階ではありません。外れたネジは、きっとどこかの砂の中にでも埋まっているんでしょう。

 

 

 まあでも別に、言ってしまえば、それももう分かっていたことなんです。つまり、僕がおよそ普通の人間じゃないということは。普通じゃない性格で、普通じゃない趣味を持ち、普通じゃない人生の選択をした、その時点で、僕はもう普通であることをどこか諦めてしまったような気がします。これから先も、きっと普通じゃないことで僕は思い悩むだろうし、普通じゃないことで苦しむだろうし、普通の人生、つまり普通に就職して普通に結婚とかして普通に子供とか産んだりして、そういう普通の人生を送って、普通の幸福を得る、そういったことはもうムリだろうって、もう諦めがついてるんです。ただ時々、それでもほんの少し、ほんの少しだけって、そう思うことがあるんです。僕が望むのは、ほんの少しの、コップ半分ほどの、しかし純粋で混ざりっ気のない幸福、ただそれだけなんです。そしてそれは思うに、今の僕の置かれている環境からして、とうてい手に入れられないようなものではないはずなんです。なのにそれが手に入らないんです。僕が獲得できる幸福、いや幸福モドキたちは、どれも不幸や悩みの種との混ざり物で、そして僕は幸福の味を知らないから、それを純粋に感じられずにいるんです。だから僕は、一見幸福な、つまり喜ばしい出来事に直面しても、それを素直に喜んでいいものかが分からないんです。スイゾからチョコをもらったのだって、普通に考えれば、女の子からバレンタインにチョコを貰うというのは、一般的に喜ばしい出来事じゃないですか?なのにそれを嬉しく思うことができないんです。僕が考えることと言ったら、僕がその厚意に与るに値する人間なのかとか、そもそもどうして僕なんかとこんな仲良くしてくれるのかとか、どういう形でそれにお返しをしたらいいのか、そしてそれはどのくらいの価値のものであるべきなのか、そういう本質的でないことばかりなんです。そういうことを、勝手に頭が考えてしまうんです。そしてそういうことを考えるたびに、僕はその厚意の送り主に対して物凄く申し訳ない気持ちになるし、僕はますます僕自身のことが嫌いになるし、憂鬱な気分になっていくんです。

 

 

 

 まあそういうことです、僕が言いたいのは。

 

 まあでも、なんだ、こんだけ色々ベラベラ語っといて何やねんって思われるかもしれませんけど、元気ですよ、僕は。研究も、勉強も、趣味も、それなりに両立してできているし、どれもそれなりにうまくやれてます。だから概して元気だし、概して楽しいですよ、最近は。少なくとも、去年の夏ごろとかのクソ虚無だった時に比べればずっと元気です。ただ僕はおかしい人間で、どうしようもなくダメなやつだから、そのせいで何かがうまくいかなくて、悩んだり、憂鬱な気分になることがあるっていう。でも、言ってしまえばただそれだけで、それ以外の時は普通に毎日楽しく過ごせてますよ。

 

 だからアレですよ、ないとは思いつつ一応言っておきますけど、気を遣って優しくしてくれたりとかはしなくていいですよ。寧ろそういうことされても困っちゃうんで、実際。別に僕はこの話に共感とか、解決を求めているわけではないし、そもそもこれは僕自身の問題なわけですから。

 

 だから、このブログを読んで皆さんがどう思ったかは分かりませんけど、僕に共感するというのであればそれはそれでいいし、何言ってんだコイツ・・・って思うのであればそれはそれで構いません。僕を反面教師にしてくれてもいいし、このブログは社会不適合者が理系大学院に進学したらどうなるかのドキュメンタリーだと思ってくれてもいいです。ただどうであれ、このブログをここまで読んでくださった方にはここで等しく感謝を伝えたいと思います、ありがとうございます。

 

 まあそういう感じですね。そろそろ書くこともなくなってきたし終わろうかな。なんかホントはもっと短くまとめたかったんですけど、なんか書いてたらどんどん”””思い”””が溢れてきちゃって、結局またいつものクソデカ長編になっちゃったし、後半の方はブログでも何でもなくただの愚痴みたいになってるし、抽象的な話に抽象的な例えを重ねてもう意味わかんないことになっちゃってて、なんか、こう、アレですね、あんま良くないですよねこういうのは。え、お前のブログなんて大抵ただの愚痴だし意味不明だろって?いや、、、

 

 

 

 

 

黙れ!!!!!!

 

 

 

 

 

 まあでも今回はホントに、ホントに思ってるままを書きなぐった感じで、内容的にも全然まとまりがないし、文章も結構支離滅裂になっちゃった感があって、うーん、なんかあんまり良くなかったと思います、個人的には。少なくとも今書くのは良くなかったんじゃないかという気がする。

 

 本当はもっと色々考えに整理がついてから書き始めようかと思ったんですけど、なんかそれだといつまで経っても書き始められなそうだったし。それにやっぱり僕のブログって、そういうまとまりのない感情を吐き出してこそみたいなとこありませんか?いや、分かりませんけど。皆さんが僕のブログをどういうつもりで読んでいるのかにもよりますけどねそれは。

 

 まあでもやっぱり、こうして自分の思ってることを文章にするってのはいいですよね。どんな形であれ人に説明しなきゃいけないから、ある程度考えは整理されていくし、それに文章にして物事を客体化することで、自分がすごい深刻に考えていたこととか、すごく悲しかったこととかも、改めて見ると案外そんな大したことでもないみたいな、そういう経験をすることもありますからね。実際僕もこれまで何度もそうなったことがありますから。今回にしたって、「いや、コイツただ女との接し方分かってないだけじゃね?」って思ったもん、普通に、僕が。コイツただのコミュ障じゃね?って。

 

 文章を書いてそういう経験をするたびに、やっぱり僕は文章を書くのが好きだなって思うし、文章を書く趣味を持ってて良かったと思うし、これからもできる限りは続けていきたいなと思いますね。今は研究が忙しくてちょっとアレですけど、これからもこうして暇を見つけてちょいちょい投稿出来たらいいと思ってます、ブログを。

 

 

 あそうそう、今思い出したんですけど、今年の抱負、

 

 

 

全然達成できてません。垢消しブロ解は今のところしてないです。だけどブログは書いてないしサンシャインもやってないし、4個目に関してはゲーム自体ほとんど最近やってないです。

 

 でもまだ僕は諦めてない、っていうか寧ろ全然”””やる”””気なんで。ブログも今言ったように暇を見つけて書いていくし、サンシャインもリコ7:52出すつもりだし、64も普通に16枚15分台目指してるんで、普通に。その辺のモチベーションに関しては全然衰えてないです、実際。今はちょっと忙しくて、休憩してるだけですね。それだけはちょっと言っておきたかったんで。まあ要するに、これからの僕に期待しておいてくださいってことです。

 

 まあそういう感じです。それじゃあそろそろ終わろうかな、疲れたし。まだまだ語り足りない気もするし、逆に語りすぎたような気もするけど、まあでも別にいいでしょう。これからもブログは書くし、また書きたいことができたらその時書けばいいみたいな、まあそんな感じですね。

 

 

 じゃあ終わります。新年度が始まって、生活環境がガラッと変わった人もいるだろうし、まあ変わってない人もいると思いますけど、まあいずれにせよ、皆さんそれぞれ大変な思いをしていることと思います。お互いこれからも頑張って生きていきましょう。そしてこれからもアルル・ナジャと、アルルブログをよろしくお願いします。

 

 

 

それでは皆さん、さよなら~~~~じゃあね~~~~~~

 

 

 

おわり